トリノ王立歌劇場「ラ・ボエーム」 ~ 対照的、二人のDIVA
2010/7/25

山深い河原の露天風呂に浸かっていたのは朝のこと、それが午後3時には横浜に。新幹線と高速道路の賜物、日本はますます狭くなる。信州からとって返して、テアトロ・レージョ来日公演、今度は「ラ・ボエーム」の初日だ。お目当てはもちろん、バルバラ・フリットリが歌うミミ。

ミミ:バルバラ・フリットリ
 ロドルフォ:マルセロ・アルバレス
 ムゼッタ:森麻季
 マルチェッロ:ガブリエーレ・ヴィヴィアーニ
 ショナール:ナターレ・デ・カロリス
 コッリーネ:ニコラ・ヴィヴィエーリ
 ベノワ/アルチンドロ:マッテオ・ペイローネ
 トリノ王立劇場合唱団
 合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ
 杉並児童合唱団
 合唱指揮:クラウディオ・フェノリオ/津嶋麻子
 トリノ王立劇場管弦楽団
 指揮:ジャナンドレア・ノセダ
 演出 ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ
 再演演出:ヴィットリオ・ボレッリ
 衣装・美術:アルド・テルリッツィ
 照明:アンドレア・アンフォッシ

今回の来日公演の売りは何といってもデセイとフリットリ、二人のプリマである。続けて舞台に接すると、この二人はいかにも対照的だ。「歌が大事か、演技が大事か」、オペラの舞台では永遠の命題であるが、フリットリは前者、デセイは後者である。もちろんそれは極めて高い次元のもので、片方が疎かになるということでは決してないが、どちらを指向しているのか、どちらをより強く意識しているのか、こんなによく判るのは日をおかずに接したからに他ならない。

大変に素晴らしかったのは幕切れ近く、ボヘミアンたちが場を外したあと、ミミとロドルフォが二人きりになる場面だ。ここから明らかに音楽が変わった。オーケストラの鳴りかたが一変、驚くほどの遅いテンポとそれまでのピットからは予想も出来ないほどの弱音の世界になった。そのテンポでフリットリは歌う。驚異的な集中力だし、ノセダ率いるオーケストラの支えも尋常ではない。いまわの際の歌であるから当然ではあるが、ほんとうに死にゆくように表現したソプラノを見たことがない。その点では演技としても最上のものだが、それを音楽的にやってのけるフリットリの凄さ。脱帽である。カーテンコールで、ピットの隅々にまでフリットリが投げキッスを贈っていた姿は、この直前のシーンとの脈絡で、すとんと腑に落ちるものだ。

歌唱の丁寧さ、言葉の明晰さ、声のコントロールの完璧さ、どれをとっても彼女は当代屈指のソプラノだが、第1幕あたりでは以前にはなかったヴィヴラートが少し耳につき、あれっと思ったが、幕が進むにつれ好調さを取り戻し、圧巻の大詰めである。間違いなくフリットリを聴く公演である。相手役のマルセロ・アルバレスも声は出るし、内容もどんどん佳くなってこのコンビは全く問題なし。もう一方のカップルは悪くはないが、比較の見地ではやはり凹んでしまう。第3幕の4人のアンサンブルを聴くとそれが顕著、初日ということでのバランスの悪さもあるのだろう。同じくアンサンブルでは、第1幕のミミ登場の前まで、それぞれの歌い手に緩急強弱の呼吸の悪さが目立ち、落ち着きなく楽しめなかった。このあとの東京公演では是正される可能性が高い。

森麻季さんのムゼッタはいまいち華がない。もっと派手な衣装でもよいと思うのに、黒っぽい地味な色調で目立たないし、アンサンブルでは声量的にバランスしにくい。来日公演ということで現地も含めての起用と思われるが、適材は他にいると思うだけにいかがなものか。

「椿姫」と異なり、「ラ・ボエーム」ではノセダは指揮棒を握っていた。こちらの演目ではコーラスは舞台上だし、やはりタクトがあったほうが見やすいということなんだろう。メリハリ豊かな指揮である。望むらくは幕切れ同様のコンセントレーションを全曲にわたってオーケストラから引き出してくれたら。

この春にアンドレアス・ホモキ演出の「ラ・ボエーム」を2日連続で観たあとでは、今回の演出はあまりにオーソドックスというかトラディショナルに見えて仕方がない。あの、単なる読み替えというにはほど遠い、ドラマの本質に迫る演出を経験したら、旧来の舞台はどうしても微温的に見えてしまう。もちろん、これでト書きどおりの忠実な再現なんだけど、音楽以外の刺激が何もなくて物足りないとの厚かましい望み。歌は水準以下でも演出で見せてしまうというのも考えものではあるが。

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