びわ湖ホール「トリスタンとイゾルデ」 ~ 湖国のオクトーバーフェスト
2010/10/10

近鉄京都駅構内みやこみちの「ハマムラ」で鶏ラーメンを食して大津に向かう。工事でしばらく閉店していたので、ずいぶん久しぶり。びわ湖ホール詣での定番が復活。

一日降り続いた雨も止み、空気が澄んでいる。JR大津駅からだらだら坂の大通りを湖に向かって下っていく。今日は大津祭、13の山が市内を練り歩くのだが、ちょうど昼休み、大通りの真ん中に全台集結して野外展示場と化している。それぞれの山は意匠を凝らした重要文化財級、ここで観るのが効率的、何しろこちら「トリスタンとイゾルデ」開演前の道草だから。

喧噪の中の祇園祭とは違って、人出も大したことはない。京都の祭りに感じる取り澄ましたよそよそしさはない。裃のおっちゃんと見物人が気軽に言葉を交わしたりして距離が近く、とてもフレンドリー。大津祭は初めて、見せてやるという雰囲気が充満している京都の祭よりずっと好感が持てる。

イゾルデ:小山由美
 トリスタン:ジョン・チャールズ・ピアース
 マルケ王:松位浩
 クルヴェナール:石野繁生
 ブランゲーネ:加納悦子 
 メロート:迎肇聡
 牧童:清水徹太郎
 舵手:松森治
 若い水夫の声:二塚直紀
 合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル/
   東京オペラシンガーズ/
   大阪音楽大学/京都市立芸術大学
 管弦楽:大阪センチュリー交響楽団
 指揮:沼尻竜典
 演出:ミヒャエル・ハイニケ
 装置:ラインハルト・ツィンマーマン
 照明:マティアス・フォーゲル
 衣装:ヨアヒム・ヘルツォーク
 技術:フェルディナント・シェール
 音響:小野隆浩

「トリスタンとイゾルデ」の当たり年というか当たりシーズンである。先頃の関西フィル定期で演奏会形式での第二幕を聴いたし、年末には新国立劇場での上演、年が替わって7月に新日本フィルの定期、このオペラが好きな人には堪えられないところだろう。私はワグネリアンでないし、実のところ、舞台上演に接するのは二度目でしかない。隣に座った先輩は大阪国際フェスティバルでニルソン、ヴィントガッセンのコンビを聴いているらしいから、私よりひとつ年齢が上なだけなのに、もはや歴史の語り部の風情だ。

私も歳をとって忍耐強くなったのか、2回の休憩を含め5時間におよぶ作品を居眠りせずに聴いた。なかなか面白かった。そんなにお金がかかっている風はないが、シンプルでセンスのいい装置だ。
 第一幕は舟形の台に、船首と船室を仕切る扉と窓だけが大道具で、イゾルデのシーン、トリスタンのシーンと移り変わる毎に、船首が向う側にこちら側にと回転する。
 第二幕では同じ大道具が城壁になってブランゲーネとイゾルデのシーンだ。それが逢い引きの場面では蒲鉾を切ったような床面に変わり、その一切れが二人を載せて沈む。
 第三幕では迫り上がりの舞台機構をもっと上手く使っている。どういう訳か判らないが、瀕死のトリスタンが横たわっているのは図書室、その上階がイゾルデの船を待つ物見である。待ちわびたトリスタンが登って行くにしたがい図書室は沈み、何もない上階だけになる。METのゼッフィレッリ演出の「トスカ」で、サンタンジェロ城の地下牢からカヴァラドッシ登っていくシーンとそっくりだ。この平面で惨劇が起きたあと、イゾルデの愛の死ではクライマックスに向かって、彼女の乗った蒲鉾パーツがどんどん上昇して行き幕切れとなる。
 なるほど、ここに至って上方に設置されていた装置、すなわち反響板の効用を知る。ドイツのケムニッツ歌劇場との共同制作ということで、あちらのスタッフの手になるものかも知れないが、びわ湖ホール音響デザイナー小野隆浩さんの関与を想像してしまう。歌いやすい環境づくりと演出の調和であろう。フルオーケストラの盛り上がりに過度に力まずに拮抗できるのは、あの斜めにセットされた装置の賜物ではないかな。

思いのほか歌とオーケストラのバランスがいい。大阪センチュリー交響楽団の正規メンバーだけではとても足りないからエキストラを入れているが、響きはかなり薄い。ただ、それは意図的なようにも思える。もっと弦の響きの厚みがあってもよさそうなものであるが、クリアな響きを優先したのではないかな。意図したものかどうかは別として、とても聴きやすいピットと舞台である。低音域の木管楽器の浮いたフレーズは気になったが、このオーケストラにしてもワーグナーを全曲やるなんて前代未聞のこと、大阪府の補助金も打ち切られて名称も変更となる転機であり、この公演に対する思い入れも大きいと思う。千秋楽でもないのにカーテンコールでオーケストラメンバー全員が舞台に登るという光景も珍しい。

配役に言及すると、イゾルデの小山由美さんは上々である。メゾソプラノのイゾルデというのも驚きだが、聴いた限りではそんなに無理はないし、性格の強さの表現では声質との親和性があるのではないかと思えるほどだ。トリスタンを非難しながらも内面に押さえきれない愛を抱く冒頭のシーンの演技と歌には目を奪われる。

同じく第一幕のジョン・チャールズ・ピアースのトリスタンにも好感を持った。声質がノーブルだし、剛毅一直線のヘルデンテノールとは一線を画すイメージ。パワーに不足するのは否めないし、第二幕前半ではいささか低調という感もあったが、悔悟と逡巡を繰り返すキャラクターには彼の歌は合っているのではないかと思う。

マルケ王の松位浩さんは、やや一本調子か。この役はほんとうに難しいのだろう。トリスタンに対する怒りだけではない、悲しみも混じる複雑な心境と立場を余すところなく表現するには、まだまだというところか。声楽的には充分なポテンシャルを感じる人だから、これからが期待できる。

クルヴェナールの石野繁生さんが発見である。声量的にはトリスタンをも圧倒する威力、こんな人がいて海外で活躍中ということ。松位さんと同様、剛柔、緩急、強弱の表現の幅が加われば、ずいぶん楽しみである。

演技的にはブランゲーネの加納悦子さんが素晴らしかった。とても細かい所作と目での表現がぴたりとドラマにはまっていて見事だ。歌についても、私が加納さんを聴いたなかではベストだろう。この役が重要なことは判っていても、なかなかそれを実感することは少ないが、今回は目から鱗だ。

ほんとに長い全三幕、両端の出来がよくて、真ん中の第二幕は総じてパワーダウンしたことが否定できないが、この全曲をフルパワーで貫き通すのは一苦労だろう。中休みはある程度しかたがないとも言える。だからこそ、第二幕を単独で演奏会で取りあげる意味もあるということだろう。

二回の休憩は湖畔に出て気持ちよい風に当たるのが一番。渚の遊歩道からホワイエの鈴なりの観客を眺めるというのは、びわ湖ホール以外では不可能なことだ。湖岸を歩いて20分、車なら5分で到着する「ヴュルツブルグ」は、この季節のこと、オクトーバーフェストメニューだ。公演の余韻に浸りながら飲み干すドイツビールの旨さ。やはり、我々が三種類目のジョッキを味わうころに、イゾルデの登場だ。ややあってトリスタンも来たぞ。おっ、マエストロも。5日間のインターバルを置いて次の土曜日には二回目の公演だ。残念ながら仕事の予定が入って、両日とも購入していたチケットは処分せざるを得なかったが、初日以上に頑張ってほしいものだ。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system