大阪フィル定期のR.シュトラウス ~ 今度はOK
2010/11/12

ちょっとオーケストラコンサートから足が遠のいていた。いちおう関西フィルの会員だけど、ここ何回かは代わりに行ってもらっているし、大阪フィルに至っては半年ぶりぐらいになる。今年になって出かけた大阪フィルの定期演奏会はいずれもパッとしないもので、何年か前の勢いは感じられなくなっている。直前にネットでD席値下げ1000円のチケットを入手することがなければ、今回の定期も見送っていたはずだった。

R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」作品35
 R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
  指揮:大植英次
  チェロ:堤剛
  ヴィオラ:小野眞優美

大植の真骨頂、R.シュトラウスの2大プログラムということである。と言われても、2月のアルプス交響曲が感心できない演奏だったから、過度な期待は禁物だ。それでも出かけたのは、大阪ではこういった大編成の作品を、エキストラをあまり入れずにやれるのは大阪フィルだけ、ナマで聴くだけでも意味があるというかなり消極的な動機からだった。

それが、ずいぶん、いい。聴きやすい。面白い。アルプス交響曲が耳障りな演奏だったとすれば、これは大編成・大音響にもかかわらずスッキリとした形があり、行き当たりばったりではなく、ダイナミックスやテンポの変化もしっかりと考えられた上での演奏だということ。そこが2月の定期演奏会とは違うところだ。もっとも、あのときに聴いたのは東京も含めて3回公演の初日であり、2日目の今回と条件は異なる。音楽監督の場合は初日よりも2日目のほうが良いというだろうか。初日の問題点を修正して完成度を高めることをしているのだろう。

アルプス交響曲はただの音の絵、今回の作品は変奏曲とソナタという形式を持つ作品ということも重要な要素かも知れない。形式に助けられると言っては何だが、長い作品として拠って立つ骨組みがあるということは大きい。自由奔放さと形式のせめぎ合いという面白さもそこに生まれる。交響詩としてのテキストをしっかり読んでいなくとも、オーケストラサウンドの妙味が楽しめる。その点でも今回のプログラムは成功である。

「ドン・キホーテ」の堤剛さんのチェロは、私の聴いた位置ではオーケストラに埋没してしまっている。ほんとうにソロになったときにはそれなりに聞こえても、オーケストラが薄くなった部分でも目立たない。大きな音を出す人ではないのだろう。と言うよりも、協奏曲ではないのだからシュトラウスがそう書かなかったということか。小野眞優美さんのヴィオラのほうがしっかり耳に届く。左バルコニーという位置だからか。

「ツァラトゥストラはかく語りき」も丁寧な演奏だ。パワーで圧倒するような乱暴さは影を潜め、音の彫琢がきちんと施されている。同じシュトラウスなのに、あのアルプス交響曲は何だったんだろうか。

同規模の交響詩を二つ並べて凸凹がない。だいたい、三曲ぐらいのプログラムだと一つはいまいちというのが通例だが、この二つの場合は両方ともしっかり準備しないと納まらないから、バランスの良さが生まれることに結びついたと想像する。来年もシュトラウス作品をやるようだ。どうもそっち方面、グラマラスな作品に奔る傾向が強い音楽監督だ。そればっかりではという気もするのだが、まあ、今回のような演奏ならいいかとも思った久々の大植節だった。

会場で来シーズンの定期演奏会ラインアップの速報が配られていた。驚きである。何と!一年前に熱望した二人の指揮者の名前がきっちり入っているではないか!昨年末、大阪フィルのファンクラブサイトにシーズンプログラムについて批判的な書き込みをして、親衛隊的なファンの不興を買ったことがあるが、そのとき実名を挙げてこういう指揮者を客演招聘すべしと書いた二つの名前である。

苦言を呈した発表時期についても、ひと月以上早くなった。大阪フィルがこんな文句たれの繰り言に耳を傾ける度量があったのには敬服する。もちろん、客演の選択は私ごときの要望を容れた訳ではなく、多くのファンの声やオーケストラの評価があったからに違いない。クリストフ・ウルバンスキ、ラドミル・エリシュカ、これはとっても楽しみだ。エリシュカについては来月に東京まで行って「新世界より」を聴く予定だが、来年は大阪で「我が祖国」を聴けるとは。そのほか、再びナタリー・シュトゥッツマンを迎えて大植監督の「大地の歌」もあるし、なかなか期待できそうな来シーズンだ。

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