エリシュカ/東京フィルのチェコ・プログラム ~ やっぱり来てよかった!
2010/12/5

あまりの素晴らしさに、大阪フィルの定期演奏会に二日連続で足を運んでから2年経つ。来シーズンのラインアップに「我が祖国」でエリシュカが再登場するという嬉しいニュースが最近あったばかり。待ちきれず、一足先に東京でエリシュカを聴く。金曜日に出張、レアものオペラでもないのに、日曜日まで自腹の居残りである。

スメタナ:歌劇「売られた花嫁」より3つの舞曲
 スーク:組曲「おとぎ話」作品16
 ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」ホ短調作品95
 スラブ舞曲第15番作品72-7
   指揮:ラドミル・エリシュカ
   管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

年末の第九、新年のウィンナワルツと「新世界より」、判で押したようなこの時期のコンサートには全く食指が動かない。でも、これは特別なコンサートになるはず、とは思ってはいたものの、手垢にまみれたような「新世界より」、いかにエリシュカといえども果たして、という気持ちも半ば。

それが、全くの杞憂、脱帽、感嘆の定期演奏会だった。そう、いまどき「新世界より」が定期演奏会のプログラムに載ること自体が異例だし、私も名曲コンサートのメニューという固定観念から逃れられないでいた。ここで聴いた「新世界より」は目から鱗の連続、これまで何度も聴いているはずなのに、初めて聴いたような音がフレーズが、次から次へ。いったい今まで何を聴いていたんだろう。

最も印象に残ったのは第2楽章、お馴染みのメロディはともかく、それに続く弦楽器のフレーズの美しさ、繋ぎの楽句などではない、ここが本当の聴きどころだったのか。ルーチンワークの弾き方ではない。弓を一杯いっばい使ったような息の長い音が紡ぎ出される。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三本のソロから弦合奏に移行するところは絶美、管楽器のソロよりもこちらのほうが肝だったかのよう。

続く第3楽章は緩急・強弱の呼吸が素晴らしい。2年前に聴いたモーツァルトのシンフォニーで感じたのと同じ、何段階にもおよぶ多彩な強弱のニュアンスがある。音楽が生きている。両端楽章も同様、エリシュカの作り出す音楽は、いまこの曲が生まれたかのような新鮮さで耳に届く。

圧倒的な「新世界より」の前に演奏された、スメタナとスークも見事。スメタナの「売られた花嫁」は舞台を観たことがあるが、こんなに長く充実した舞踊音楽を含んでいたんだろうか。歌に気をとられていて気付かなかったんだろうか。シンプルでいて効果的なオーケストレーションという印象の強いスメタナなのに、ここではずいぶん厚い響きだし躍動的だ。エリシュカが振るからこうなるのか。そんなに大きな身振りではないのに、オーケストラから出て来る音はエネルギッシュでヴィヴィドだ。

スークは初めて聴く曲、思いのほか長い。そして思いのほか面白い。感心するのは、対旋律の活かし方。混じらず遊離せず、絶妙のバランスで絡んでいくのは名人芸の世界か。もともと良くできた曲なのか、エリシュカが魔法をかけたのか判然としないうちにクライマックスを迎えた。この休憩前のピースに相当力を入れたと想像する。

休憩時間のホワイエ、見知った某氏に声をかける。
「具合はどないでっか、腰の調子が悪いとかゆうたはりましたけど…。それにしても、エリシュカ、元気でんなあ」
「いやあ、もう80近いのに、あんな元気なんやから、若いもんが痛いや何やなんて言うとったら、あきまへんなあ」
 というような感じ。もちろん、大阪弁ではなく、オーチャードホールだから標準語での会話。確かに、エリシュカ、2年前の大阪のときより足取りもしっかりしている。定期演奏会では珍しいアンコールのサービスまであるぐらいだから。第1ヴァイオリン奏者が「新世界より」の譜面を閉じたその下にも譜面があったので、これは、冒頭に回帰してスメタナの序曲でもやるのかなと推測したが、外れてスラブ舞曲、オマケと言うにはありがたすぎるプレゼント。

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