京都の「イリス」 ~ 敬服!ミッチーの執念
2011/2/20

井上道義、「イリス」を日本で指揮したのはこの人だけ、しかもこれが再々演というのだから、思い入れが普通じゃない。えらい、「蝶々夫人」ブレッシァ版に執念を燃やす牧村邦彦氏と並ぶ。

本邦初演は1985年、NHKのテレビで見た覚えがあるが、印象は強く残っていない。衣装は時代劇スタイルと言っていいようなものだったかと。もともとの設定自体が日本人の目からは無茶苦茶なところが多いオペラだから、あの時のように妙に日本的にせず、ファンタジーとしてハチャメチャさを残したのが、今回の演出の成功かと思う。舞台に接したのは初めてだが、とても楽しめた。

あれは四半世紀も前のこと、テレビ放映された日のキャストは松本美和子、山路芳久、木村俊光という顔ぶれだったようだ。途中からちらっと観ただけだったが、声楽的な面ではなかなか聴かせたと思う。山路さんは早世してしまったし、今にして思えばしっかり観ておけばよかった。そして、2008年の再演のときはレアものオペラの特異日、もし東京にいたなら悩ましかったはず。ヘンデル「タメルラーノ」、アダムス「フラワリング・ツリー」、ストラヴィンスキー「エディプス王」に、このマスカンニ「イリス」だったと記憶する。もうちょっと考えてくれと言いたくもなるだろう。今回にしても、前日は仕事で東京だったので、「トゥーランドット」や「椿姫」という選択もあったのだが、どちらもお馴染みの演目、片やホール、片や指揮者に不満、後ろ髪ひかれることなくさっさと京都に戻る。

イリス:小川里美
 チェーコ(イリスの父):ジョン・ハオ
 オオサカ(金持ちで好色な若旦那):ワン・カイ
 キョート(吉原の芸者屋の主人):晴雅彦
 ディーア&芸者:市原愛
 くず拾い:西垣俊朗
 踊り子:(美)橘るみ、(吸血鬼)馬場ひかり
 人形師:ホリ・ヒロシ
 邦楽師:杵屋利次郎社中
 胡弓:篠崎正嗣
 合唱:京響市民合唱団
 管弦楽:京都市交響楽団
 指揮・演出:井上道義
 舞台監督:小栗哲家 
 照明:足立恒
 衣装デザイン:谷本天志

セミステージ形式とか言うが、これは低予算舞台上演を凌ぐものだ。いつも淋しい客席の京都コンサートホールにして珍しい満員、大盛況と言ってもいい。舞台中央を斜めに区切る青い花道でオーケストラが分断されている。舞台後方と前方が花道で繋がり、両袖からの人物が出入りする。

イリス役の小川里美さんは芯のある声で、なかなかの出来である。しっかりしたリリコ・スピント、プリマドンナオペラに近い作品だけに、この役の存在感がなければ始まらない。充分に及第点である。第1幕と第2幕にそれぞれ長いソロがあり、この二つの出来次第でオペラの成否が決まるので大変だ。最初の歌は抒情的で、後のそれはもっと激しい感情がこもる。歌い分けも必要になる。ここまで歌える人とは思わなかった。

イリスの父親役の中国人ジョン・ハオ、この人も悪くなかったが、オオサカ、キョートの二人はどうなんだろう。やや問題含みと見た。オオサカ役のこれまた中国人ワン・カイ、まだ若い人だ。大柄で体つきもそうだが顔も野球賭博の琴光喜そっくり。さぞ立派な声が出るかと思うと、意外に細い声、ときに奥に引っ込んでしまったように響くときもある。有名なアリアはそれなりに聴かせたが、オーケストラが厚くなるところではボリュームも不足気味だ。キョートの晴雅彦さん、東京での出演も増えてきていて全国区売出し中だが、高橋淳さんほどのキャラクターが際だつわけでもないし、堀内康雄さんほどの余人をもって代え難い声でもない。もう一息のところで壁がありそう。

舞台にのった京都市交響楽団は普段の響きよりもずっと密度がある。井上さんのテンションが乗り移ったかのよう。純日本的を排した衣装は結構笑える。オオサカの和洋折衷ポパイもどきの裃なんて着物だとは思わないし、ぱっと見では違和感はない。キョートの金閣寺・五条大橋・京都タワーを原色で描きなぐったようなすごい柄の着物とか。ディーアの着物はモノトーンで地味だと思ったら絵柄は髑髏。イリスは第1幕では矢絣のような普通の着物だったが、第2幕では少し露出気味、第3幕ではアヤメに模したコスチュームとなる。いずれも当然のことながら青紫が基調だ。

幕開きと幕切れが太陽讃歌、これを聴くとすぐにAmazing Graceが思い浮かぶ。「知床旅情」と「早春賦」ほどではないが、かなりのそっくりぶりである。イリスよりもAmazing Graceのほうが先に出来たらしいが、マスカンニが黒人霊歌を知っていたのかどうか。偶然もよくあることだが…

両端にコーラスを配し、間にシンプルなプロットが挟まっているというのがこのオペラだ。あらすじは2行で書ける。すなわち、「盲目の父と暮らす若い娘が、遊び人に騙され吉原に売られ、追ってきた父親に詰られて絶望のあまり身投げする」ということ。これを3幕の内容のあるドラマにするのは大変、それで女声コーラスやバレエなどの彩りが加わるのだが、これらは本筋を展開するものではなく、挿入されるだけのものだ。だから退屈させずに見せようと思うと、いろんな工夫を施さねばならない。その点では井上道義氏、とても良くやったと言える。弛緩してしまうという場面はなかったように思う。

今回はオーケストラを変えて東京と京都での公演、登場人物の名前に合わせたのか字幕も関西ふうである。もともと国籍不明だから関東も関西もないし、まあそこまでしなくてもいいかとは思うが。と、帰りに京都地下鉄北山駅で面白いものに気付いた。やはりイリスと京都は関係が深いのか。停車位置表示に描かれているのはアヤメではないか。すると広告主は聖護院八ツ橋。そういえばあの包装は八橋柄にアヤメがあしらわれていたような。ん、でもそれが伊勢物語にある八橋にちなむとすれば、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」の頭五文字でカキツバタ、アヤメじゃない。まあイリス自体がアヤメそのものでもないようだし、詮索しても仕方ないか。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system