大植英次/大阪フィルのバーンスタインほか ~ 終わりの始まり
2011/4/14

大植英次音楽監督の最後のシーズンが始まった。最近はひと頃の低迷から脱した感があるので、これから一年、何度か聴くことになるだろう。

シーズン開始はレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」だ。なんとも言えないタイミングだが、これは前から決まっていたプログラムで、時節柄ということではない。

バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」
 シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
  ピアノ:小曽根真
  指揮:大植英次

プログラムに先立って、讃美歌320番「主よ御許に近づかん」が演奏された。大植さんが舞台の下手に現れ、震災で亡くなった方々への追悼の言葉のあと、長原コンサートマスターがソロで旋律を弾き始める。各セクショントップ奏者が順次加わり、ストリングスの合奏に広がっていく。追悼に相応しい曲ということではあろうが、タイタニックのように日本沈没になっては困るのだけど…

バーンスタインの「不安の時代」については、作品の名前だけ知っていて、今回初めて聴くという曲だ。タイトルから連想するような陰鬱さはあまり感じない。標題がついた6つの楽章が2部に別れて、各部は続けて演奏される。第1部などは全体が変奏曲で、どこが楽章の切れ目かも私にはよく判らない。第2楽章「7つの時代」、第3楽章「7つの段階」と言われても標題の意図が伝わるわけではない。詩人オーデンのテキストを知っている人なら別の聴き方ができるのかも知れない。

第2部になって曲想は突然ジャズに転じる。ピアノの小曽根さんもここで本領発揮である。ベース奏者が一人オーケストラのポジションから離れて独奏ピアノのそばに、鍵盤奏者はオーケストラに散在するアップライト・ピアノにチェレスタに駆け回って大忙しだ。ここは音楽も面白いのだが、前後の部分からは浮いた印象が否めない。吉松隆にも同じような印象を受ける曲がある。順序からするとバーンスタインのほうが先だけど。

ピアニストのアンコールが「ウェストサイドストーリー」の"Somewhere"、バーンスタインづくしである。

2月の交響曲第9番を二つ並べた定期演奏会でもそうだったが、プログラムの前半と後半の組合せが、同じ番号にしても水と油のようなところがある。それにしてもバーンスタインのあとがシベリウスとは。でも、私は好きなので喜んで聴く。

ほんとに、これ、大傑作だなあと思う。紛れもない個性、独特の筆致、独墺系の作曲家だとどう逆立ちしても書けない作品だ。語法というか、跛行するようなメロディラインのユニークさ、たまらない。大阪フィルの演奏も安定している。トリオのところがちょっとねという感があったが、各パートのバランスの良さは、昔を知るものにとって同じオーケストラとは思えない。このシベリウスの曲だと、間違いなく楽器間の受け渡しがギクシャクとして、木に竹を接ぐような演奏になるはずなのに、今はそんなところはない。これは大植時代の成果でもある。第3楽章の一部を除けばよい出来映えで、力の入った第2楽章が素晴らしい。ここが作品中のピークであることを認識した。

来週は京都で小曽根・大植コンビのコンサートがある。今度はジャズどころかモーツァルトなので、このピアニストがどんな演奏をするのか楽しみだ。なお、大植・大阪フィルは既に7日にチャリティコンサートをやっているが、さらに、ゴールデンウィーク直前にも大阪市役所でと発表されていた。一気に11の無料公演とか。毎年御堂筋界隈でやっている大阪クラシックのミニ版という感じだ。大阪フィルとしては、第一義である被災地支援に加え、トモダチ作戦ではないが多額の助成金を依存している大阪市との紐帯を強固にということもあるのだろう。

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