小曽根真/大植英次/大阪フィルの京都特別演奏会 ~ 畑を耕す・2
2011/4/19

いいコンサートだった。小曽根さんは和製サイだなあ。ジュノムの楽しかったこと、もうノリノリ。

京都駅の乗換のときに、売店で大きな五目いなりを一つ買ったら、予定の地下鉄に乗り遅れてしまい、北山駅からダッシュする羽目に。階段を駆け上がるのに足がもつれそうに。ああ、運動不足、いや歳のせいか。京都コンサートホールに到着したのは開演1分前、同じく駆け込んだ若い女性がいたので、「慌てなくても大丈夫、あと6分ありますよ」なんて言いつつ、おじさんはぜいぜい。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調"ジュノム"
 マーラー:交響曲第1番ニ長調
   ピアノ:小曽根真
   指揮:大植英次

ちょうどピアニストと対面するサイドバルコニーだったので、小曽根さんの百面相が正面。舞台上で演奏前から大植さんと何やら会話、にこやかな表情で既にくつろいだ雰囲気である。

この曲はモーツァルトのピアノ協奏曲の中では一番好きだし、ほんとに楽しかった。ピアノの表情が活き活きしているだけでなく、オーケストラとの対話もとても和やかで、いい相互作用がある。小曽根さんは休止のときはオーケストラ奏者のほうに顔を向けて、そのあたりもファジル・サイそっくり。

この曲にはカデンツァがいっぱいあるので、これがまた面白い。モーツァルトのオリジナルを弾いたのか、それともアドリブが入っているのか、どうも後者ではないかと思えるのだが、CDを聴いて確かめなくては。

若くて上手なソリストがバリバリ弾いて、オーケストラは仕方なく付き合って、というふうに聞こえる演奏会がいかに多いことか。そんなとき、私は大抵は居眠りの時間だ。ところが、こういうコンチェルトだと眠気など催しようがない。音楽がいま生まれているという実感があるコンチェルトは稀だ。演奏家と作曲家が分離してしまったこともあるだろう。そんななか、両者が一体となって生きた音楽を感じさせてくれることでも、小曽根さんの演奏はサイを思わせる。フィナーレの音が消えたときに、「ブラーヴォ!」と一声かけたのはずいぶん久しぶりのこと。

どちらかと言えばクールな京都の聴衆だけど、結構な盛り上がり。そしてお決まりのピアニストのアンコール。と、大植さんが紙切れを持ってきて、「これを読んで」と小曽根さんに手渡す。

天竺川の 松青き
 緑とともに 幾歳か
 長き歴史に きたえたる
 強き心 これわが心
 小曽根 小曽根 とわに生きん

これは豊中市立小曽根小学校の校歌ということのよう。どうやって見つけてきたのか。そして、舞台袖から老眼鏡を持ってきた大植さんが、ピアノでそのメロディを弾き、「これで、即興演奏をやってみろ」というふうにけしかける。それにコンサートマスターの長原さんも便乗。もはや、クラシックコンサートではなくジャムセッションの様相に。

さすがに、無理難題だったようで、小曽根さんが弾いたのはショパンの「子犬のワルツ」、と言ってもそこは小曽根バージョンということなので、想像のとおり。とても面白かった。

さて後半のマーラー、2年前に物議を醸した第5交響曲以来だ。あのときを思わせる遅めのテンポだが、ジュノムと同じく作曲家20代の作品だから、あの第5のような晦渋さはない。第5のときには遅すぎてオーケストラが破綻寸前のようなところがあったが、ここでは遅いテンポがオーケストラの音の重なりを明瞭に聴かせてくれるという副次効果のほうが勝る。ずいぶんアンサンブルが緻密になったものだ。10年前のそれいけドンドン、合わなくても気にするなというオーケストラではない。

とは言っても、やや緩急のコントラストが極端な感もある。第1楽章は一音一音を噛みしめるようなペースで進みながら、終結部になって猛烈にスピードアップだ。その自在さ、オーケストラがちゃんとついて行くので面白い。ゲネラルパウゼの長さもちょっと普通じゃない。あれ、演奏を止めてしまうのかと思うほどだ。そういう点では外連味たっぷりの演奏とも言えるが、不思議に抵抗感はない。マーラーの音楽がそもそも許容しているものだろう。

終楽章の爆発と沈静の交代も出色のもの。京都コンサートホールは普段聴いているシンフォニーホールとずいぶん響きが違う。同じオーケストラで聴くとそれがよく判る。ここで聴く京都市交響楽団は音が充分に客席まで届かない印象があるのだが、大阪フィルの場合だとフルオーケストラがほどよい響きになり、シンフォニーホールよりも音のまろやかさが出る。不思議なもので、こっちのほうが合っていると思うが、ホールを取り替えることはできないし…

定期演奏会ではないのでアンコールがある。大植さんがまたも紙切れを持って登場し、指揮台で詩の朗読を始める。

私たちは純粋でもないし、賢くもなければ、いい人間でもない
 私たちはただ出来ることをするだけ
 家を建て、木を切り、そして畑を耕す

ということで何を演奏するかが判った。プログラムで使うはずもないグロッケンシュピールが打楽器奏者の前にあったのはこのためだ。バーンスタインの「キャンディード」のラストナンバー、"Make our garden grow"、素晴らしい選択だ。地震のあとで最初に行ったコンサートの感想を書いたとき、私がサブタイトルを「畑を耕す」としたのは、この含意だった。たぶん今の状況にいちばんフィットする曲じゃないかなと思っている。大阪フィル関係者がそれにヒントを得たわけでもないとは思うけど…

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