飯守泰次郎/関西フィルの「ジークフリート」 ~ これぞブレークスルー
2011/5/31

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
   ピアノ:ケマル・ゲキチ
 ワーグナー:楽劇「ジークフリート」第1幕
   ミーメ:二塚直紀
   ジークフリート:竹田昌弘
   さすらい人/ヴォータン:片桐直樹
   指揮:飯守泰次郎

演奏会が終わったときにはピアノ協奏曲のことなど、どこかへ飛んでしまっていた。そうだ、ジークフリートの前にモーツァルトがあったんだ。もはや別の日のコンサートのようにさえ思える。
 それほど「ジークフリート」が圧倒的、この一時間半のあとには、頭の中はこれだけだ。予想を遙かに凌駕する演奏だった。シンフォニーホールの熱気が普通じゃない。自分も含め、音楽が進むにつれて前のめりになっていく。バルコニー席の手摺りに腕をのせ、頭は中空に。終結の激しい和音と同時に盛大なブラーヴォ。

私の見るところ、最大の功労者はミーメを歌った二塚直紀さん。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、ソロ出演で聴く機会はこれまでも数あったが、今回の歌唱は彼にとってのブレークスルーだ。「ジークフリート」第1幕と言ったって、これはミーメの幕である。ひとり出ずっぱりで、ジークフリート、ヴォータンと絡む。何と、彼がここまでやるとは!声の力、歌の表情、「士別三日即更刮目相待(男子三日会わざれば刮目して見よ)」、長い幕に一本の筋がしっかりと通る。

この飯盛/関西フィルのオペラシリーズは竹田昌弘あってのものだ。これまでに「パルジファル」の舞台上演もあったし、コンサートオペラでの「魔弾の射手」も印象に残っている。そして、昨年のトリスタンに続いてジークフリートだ。
 相変わらず若々しい声。いわゆるヘルデンテノールというのはちょっと違うが、余計な重さがなく強さと輝きがある声質を好む人も多いだろう。ワーグナーの音楽にはひょっとしてこういう声のほうが相応しいかも。まして怖れを知らぬ若きジークフリートだから。出番はヴォータンの場面を挟んで前後に分かれる。どちらもミーメとの激しいやりとりが続くのだが、好調なんだろう、全く無理がないし、二塚ミーメの熱演と呼応しどんどんボルテージが上がる。これはたまらない。育ての親殺しの残虐な場面なのに、まるで英雄的行為であるかのように聞こえるのだ。

このシリーズの「フィレンツェの悲劇」での歌唱が素晴らしかった片桐直樹さん、ヴォータンでも渋い。幕の中間部となる謎解きの応酬は、二塚ミーメとのコントラストもいいし、このキャラクターの重々しさや尊大さを充分に発揮したものだ。

三人の男声歌手が見事に揃った。これは関西に限らずとも奇跡的なことかも知れない。まさか、まさかの連続である。これだけ歌手のテンションが高いと自ずとオーケストラに伝播していく。ブラスセクションの粗さはあるにしても、だんだん気にならなくなってくるし、総体としての密度が高まってくるのが不思議。いい方に回るライブとはこういうものだ。そりゃもちろん指揮の飯守さんの力が大きいと思うのだが、どこかの首相のように俺が俺がという姿は微塵もないのに、やはり結局はこの人が中心にいるというのがわかる。

ええっと、モーツァルト、うーん。少し前にも同じ曲を聴いたばかり、全く同じパターンで第2楽章を堪えきれなかった。もう条件反射みたいなものだ。目が覚めた第3楽章はしっかり聴いたのだが、なかなか個性的というか、独自の音楽をやる人のようだ。二週間ほど前に関西フィルの事務局から電話があり、イェルク・デームスが病気でケマル・ゲキチが代演するとの知らせだったが、「えっ、ジークフリートの日でしょ。ピアノ協奏曲まであったんですか。私は別にそっちは関係ないですよ。わざわざご丁寧に」と応えたことを思い出す。

ゲキチがアンコールにシューベルトを弾き出したのにはびっくり。これって歌曲じゃないのなんて、ピアノ音楽に無知なところ丸出しだったが、リスト編曲のセレナーデということ。このやりたい放題のような演奏は面白かった。リストはけっこう面白いんだなあ。あれっ、ワーグナーへの繋ぎとしてのリストだったんだろうか。この曲が入ったため、終演は普通の定期演奏会よりもずいぶん遅い時間。しかしまあ、考えてみれば盛りだくさんな演奏会だ。

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