メトロポリタンオペラ来日公演「ドン・カルロ」 ~ 割を喰う
2011/6/5

MET来日公演の二日目、もともとチケットを買っていた「ドン・カルロ」だ。公演間近にキャスト変更が発表されて、一気にオークションの出物が増えた。こんなことなら、そいつを拾ったほうが安上がりだったかもと思うが、いつもの最安席のこと、あまりレバレッジが働くわけではない。

連日の愛知県芸術劇場、公演前に白壁あたりの三菱東京UFJ銀行貨幣資料館や川上貞奴旧邸などを散策、ヘンな食べ物の印象ばかりが先行する名古屋だけど、文化のみちと称するこのあたりには地元の人が行く気の利いたビストロが多い。驚くほどのコストパフォーマンスのメニューを提供している。長丁場に備えてしっかり腹ごしらえ。地下鉄の駅から少し距離があるのが難点だが。

エリザベッタ:マリーナ・ポプラフスカヤ
 ドン・カルロ:イ・ヨンフン
 ロドリーゴ:ディミトリ・ホロストフスキー
 エボリ公女:エカテリーナ・グバノヴァ
 フィリッポ2世:ルネ・パーペ
 宗教裁判長:ステファン・コーツァン
 指揮:ファビオ・ルイージ
 管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 合唱:メトロポリタン歌劇場合唱団
 演出:ジョン・デクスター

ヨナス・カウフマン、バルバラ・フリットリ、オリガ・ボロディナ、ジェームス・レヴァインという名前が当初のキャストから落ちた。ダメージは相当に大きい。代わって加わった人たちの健闘の模様はわかるのだが、前日の「ボエーム」のような興奮には至らなかった。

このオペラ、最初にテレビで観たのは高校生の頃だ。それが確か日本初演、NHKが招聘したイタリアオペラの公演だった。音楽の深さと素晴らしさに驚くとともに、輻輳するドラマがいったいどんな終わり方をするのか(できるのか)と興味津々だったのが、えっというデウスマッキナ、拍子抜けする一方、こんなふうにするしかないのかと思ったことを覚えている。

「ドン・カルロ」は、各幕、各場面が進むとともに興奮が累積していくオペラだ。どんどん熱が高まって行き、幕間の休憩で一息つくというのが最高の楽しみ方なのだ。右肩上がりの上昇線を辿れば言うことなしだが、この日の公演はその線がフラットだ。ランナーは出てもタイムリーヒットが出ない打線のようなもの。前夜のナゴヤドームの試合を思わせる。

得点に結びついたのはパーペの歌った「一人寂しく眠ろう」であり、これがソロホームランだとすれば、ホロストフスキーの「ロドリーゴの死」は二塁打ぐらい。グバノヴァは二つのアリアでシングルヒット2本と言うところかな。他の打者は大振りが目立ったり(イ・ヨンフン)、調整不足が見えたり(マリーナ・ポプラフスカヤ)、打球が野手の正面をついてしまったり(ステファン・コーツァン)てな感じで、ベンチの作戦は決して間違っていないが(ファビオ・ルイージ)、選手の動きと上手く咬み合っていない。ナゴヤドームでは連日のサヨナラ劇で"龍"飲を下げたのに、愛知県芸術劇場ではそうも行かなかった。

ヘンなたとえ話になってしまったが、バーペのフィリッポはスカラ座来日公演での歌唱を上回る。絶大な権力者である一方で苦悩する王の内面を表現して余すところがない。当代一のフィリッポである。アリアの後のバス・バス対決も大好きな部分なので期待して聴いたが、パーペの緩急・強弱を駆使した表現の一方で、コーツァンはあまりに一本調子でいささかがっかり。大声で喚くよりもすっと力を抜く部分を織り交ぜた恫喝のほうがより怖ろしいのに。

ホロストフスキーはキャストなかで一人声が引っ込み気味で響きが異質だ。セーブしているのかも知れない。ただ、この人のいいところは常に声に支えがあり安定したレガートを聴かせるところだ。アンサンブルの場面では絡む相手役との声のアンマッチを感じたが、死の場面の一人舞台はさすがに聴かせた。こうして見ると、フィリッポと言いロドリーゴと言い、どうも一人にスポットが当たる場面は佳いが、アンサンブルでは印象に残るところがない公演だった。そんな「ドン・カルロ」はちょっと魅力に乏しい。

イのカルロ、カウフマンが降りてこの人の名前が発表されたとき、グラインドボーンでこの韓国人テノールを聴いた人から、とても佳かったと言うことを聞いたので、期待して臨んだのだが今ひとつ物足りない。英国で歌って絶賛だったというのは「マクベス」のマグダフ、ドン・カルロとは役の重さが違う。一発アリアを決めたらいい役と、重要なアリアが与えられていないタイトルロールなのにアンサンブルだらけというカルロじゃ訳が違う。声は美しく立派だし、イタリアオペラにはカウフマンよりも相応しい声質かも。ところがこの人、きちんと詞は歌っているのだが、口跡が良いとは言えずイタリア語にシャープさがない。サザランドではないが英語圏での評価とそれ以外との落差が生じる歌いぶりではないかな。韓国の国民性なのか、何だか動きや感情表現が過剰に思える。舞台の出入りもドタバタしていて気になる。でも面白いテノール、今後の精進次第では大化けもあり得る。

グバノヴァのエボリ、ボロディナほどの声の威力はないにしても悪くない。登場のシーンの歌のスムースさはなかなかいい感じ。続くヴェールの歌ではコロラトゥーラの不得意さが見えるが曲を壊すほどのことはない。「むごい運命よ」では、もう少しパワーもほしいところだけど良い部類の歌唱だ。いつもノックアウトを期待してはいけない。

さて、問題のポプラフスカヤ、他の公演をキャンセルして日本に駆けつけたということだ。今春に公開されたライブ・ビューイングでのエリザベッタ。正月に映画館で観たとき、この人についてはあまり評価できなかったので、名前を聞いて私はがっかりした口だ。そのときの状態よりも良くない。体調や準備不足ということもあるだろう。声が安定しない。高音はかすれがちだし、音域によって音色のギャップがある。終盤になるとその傾向が増し、フィリッポの居室の場面では、終幕を歌えるんだろうかとさえ思った。最後の幕の前、カルロの着替えか舞台転換が手間取っただけだろうが、ちょっと長めのポーズがあった。ひょっとして、不調降板によりフリットリがここだけ登場なんてことを夢想したファンは私以外にもいただろう。

東京の公演までは少し日数がある。「ドン・カルロ」初日はまだまだという感が否めなかったが、今後の公演だとキャストのバランスもとれてくるだろうし、良くなるのではないかと思う。ルイージ指揮のオーケストラは「ボエーム」ほどではないにしろ引き締まった響きだったことにその予兆を感じる。

NYではライブビューイングで観た新演出になっているから、ジョン・デクスターのこの舞台は日本公演が最後になるはず。日本で廃棄するとしたら、輸送コストは片道分で済むということかな。装置はまあまあだが、衣装はすばらしく豪華、ちょっともったいない気もするなあ。このMETでしか観られない5幕版もこれで終了ということかな。

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