ウルバンスキ/大阪フィル定期演奏会 ~ 濃密な40分
2011/6/16・17

再客演を待望したウルバンスキ、当然のことながら、連日のシンフォニーホールとなる。2年前は淋しい入りの客席だったが、今回は諏訪内晶子さん目当ての人も多かったようで、かなり埋まっている。もちろん、私も含むゴーアーたちがあのときの演奏を喧伝したということもあるだろう。まだ20代のこの指揮者がそんなに凄いのかという人も来たはず。そう、やはり。凄い。

「驚異の天才!ポーランドの新星ウルバンスキ 待望の再登場!」たいがい誇大気味のことが多いキャッチコピー、しかし今回の場合は掛け値なし、そのとおりだ。

ルトスワフスキ:小組曲
 シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番作品61
 ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」
            (1945年版)
   指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
   ヴァイオリン:諏訪内晶子

朝比奈御大の晩年を思わせる短時間プログラムだ。コンチェルトとソリストのアンコールを除けば、正味40分ぐらいにしかならない。8時半には終了。しかし、その分、濃密。

冒頭の小組曲が素晴らしい。4曲からなる全体でも10分程度の作品、ずいぶんヘンな曲のはずだ。1曲のなかにも全く水と油のような楽想が並べられている。木に竹を接ぐと言ってもよい。それなのに、音楽がすごく自然に流れるのはどういう訳だろう。不思議。

2年前のショスタコーヴィチのときもそう感じた。この人が指揮すると、てんでばらばら、ごった煮のような音楽が、そのようにしかあり得ないように見事に繋がるのだ。そうだ、繋ぎの見事さである。テンポ、強弱、フレージング、それは接合部であったり、隙間であったりするのだが、その全てが音楽的なのだ。驚異的。

指揮ぶりに見とれてしまう。姿形の良さにうっとりというのではない(そういう女性ファンもいるとは思うが)。指示が極めて的確で、意のままにオーケストラをコントロールするのだ。その様が絵になる。派手な身振りの指揮者はいくらもいるが、この人の振りはオーバーなところはない。しかし、悉くオーケストラのメンバーに伝わっている。その手際、メンバーの本気度、これは普通じゃない。ウルバンスキは指揮台のスペースを最大限に使い、指示すべきパートにきっちり正対しキューを出す。これは1階席だとよく判らない、3階バルコニーの特権だ。

二つのオーケストラ曲で都合40分、東京交響楽団への客演の後、大阪に移ってリハーサルを3日間したそうだから完成度が高くなるのは当然かも知れないが、普段の大阪フィルの状態からすると尋常のものではない。初日と二日目、演奏にほとんど差がないことも驚きである。定期演奏会の前に仕上がっている。この人、リハーサルも暗譜だという。オーケストラの前に立つときには、頭の中に求める音楽が出来上がっているのだろう。

明日は明日の風が吹く、その時の感興に任せてという指揮者ではない。細部をきちんと練り上げ、それでいて自然な流れをつくる。つくりものという印象はない。あくまでも耳には自然。小組曲の印象が強烈なのは前回の冒頭の「オラワ」とう曲と通じる。あちらは弦楽のみのピース、こちらはフルオーケストラの組曲という違いはあるが、指揮者の腕の冴えをまざまざと見せつける。

大阪フィルがこんな演奏をする。2年前、「大阪フィルよ、この若い指揮者をしっかり掴まえておいてほしい」と演奏会直後に書いたものだが、ますますその感を強くする。もうインディアナポリスの音楽監督に就任してしまったから、今シーズン限りの大植さんの後任という願望は叶えられそうにもない。せめてプリンシパル・ゲスト・コンダクターとか何とかにして、年に一度ぐらいは聴く機会が得られたらいいのにと切なる願い。

小組曲と「火の鳥」の素晴らしさばかりに耳を奪われてしまったが、諏訪内さんを迎えたシマノフスキのコンチェルトも面白い。けっこう粘るような演奏もありそうな曲だが、すっきりとした感じで仕上げていると見受ける。こちらも流れの良さでは同様だ。ソリストと指揮者の相性も良さそう。ソリストに伸び伸びと弾かせる風でありながら、いびつな音楽にはなっていない。

二日目はそうでもなかったが、初日は休憩で帰る人の姿が目立った。ストラヴィンスキーなんてということなのか、たんに諏訪内さんを聴きにきただけなのか。それは人の勝手だが、何とももったいないことに思える。私にしても2日連続で同じプログラムを聴くことなど滅多にないが、シーズン後半に客演するエリシュカとこの人だけは。

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