大阪クラシックのショスタコーヴィチ ~ 最後の揃い踏み
2011/9/6

大植英次プロデュース「大阪クラシック~御堂筋にあふれる音楽~」、2006年に始まったイベントなので今回が6回目ということになる。9月の初め、御堂筋界隈のホールやビルの公共スペースを使って、大阪フィルのメンバーを中心に一週間にわたり連続コンサートが行われる。今年は83公演。発案者でもある音楽監督の名を冠していることからも、彼が力を入れているアウトリーチ活動であることがわかる。平日昼間のコンサートが多いから、勤め人が聴きに行けるのは、その日最終のシンフォニーホールでのオーケストラコンサートぐらいだが、アンサンブル中心の昼間のコンサートも盛況のようである。一部を除き、ほとんどは無料だ。

カミサンに「これを聴きたいからチケットを買ってきて」と頼まれたのが、大阪市中央公会堂での第16公演、ヴァイオリン長原幸太、ホルン藤原雄一、ピアノ藤井快哉、ブラームス「ホルンとヴァイオリンのためのトリオ」だった。ネットでも買えるが500円のチケットに同じぐらいの手数料では話にならないので難波のぴあ窓口で購入、ついでに自分用に買ったのがこのシンフォニーホールでの第35公演だ。

そうか、昼間の公演は大阪のおばちゃんが聴いているのだ。友だち同士、いくつかのコンサートを梯子してお茶して。なるほど。カミサンも中之島公会堂から、次の第17公演会場の中之島セントラルタワーにダッシュしたらしい。「いまはこんなビルになっているんや」と。そう、前の古いビルの会社に勤めていたのだから懐かしいのだろう。大植さんもこの期間は会場を飛び回っているらしく、「みなさん、もっと前で聴いてください」とか、会場整理までしていたらしい。この公演は、ヴァイオリン近藤緑、山本彰、ハープ今尾淑代、グノー「アヴェ・マリア」、メンデルスゾーン「歌の翼に」などポビュラーナンバーだったらしい。

さて、第35公演は次のプログラムだ。
  尾高尚忠:フルート協奏曲
  ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調Op.47
  フルート:野津臣貴博
  指揮:大植英次
  管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

舞台に現れた大植さんがマイクを持ち、客席に向かって「師匠」と呼びかける。2階席の奥からは平土間は見えないので、誰か噺家でもいるのかと思ったら、「師匠」じゃなく「市長」、平松市長が来ているようだ。このイベントは大阪市もタイアップしているから不思議じゃない。監督が言うには、尾高尚忠のフルート協奏曲は1948年の作品で、平松市長はその年の生まれ、もう一つのショスタコーヴィチの交響曲は1937年で、御堂筋の完成と同じ年とのこと。その2曲そろえて演奏するタイミングは今ということのよう。市長に捧ぐコンチェルトということになるのか。臆面もなくスポンサーへのサービスを口にするのは、ある意味では立派かも。平松市長もご満悦で、お礼にと大阪市水道局のペットボトル「ほんまや」を差し入れするという指揮台と舞台下とのやりとりの一幕も。

オーケストラにしてみれば何としても大阪市の支援を繋ぎ止めなければならないという事情があり、会場1700人のうち大阪市民がどれぐらいかは措くとしても、平松市長としても橋下知事の鞍替出馬で防戦となる秋の選挙に向けた露出は欠かせない。何だか双方の利害が一致した猿芝居を見ているようだ。大植監督は今シーズンで退任だから、この両人ともに来年はここにいないことが充分考えられる。体育会系の知事が大阪市に乗り込むと、間違いなく文化予算はカットされる。それは大阪府での実績で立証済だ。それ故にオーケストラの危機感も深まっているのだろう。

目に余る役人天国、時代遅れのモンロー主義、大局的には大阪市を潰してこそ大阪の再生があると自分も思うだけに、橋下氏は好きじゃないが今こそそのチャンス、音楽文化の軽視は避けられないのは残念だが、個人の趣味云々よりもっと大事なことがある。

つい話は脱線してしまったが、コンサート自体も余計な一幕があったので勝手に同罪として、演奏について。

フルート協奏曲は首席奏者の野津臣貴博さん。日本の作品という情緒が顕著で穏やかさ優しさが前面に出た演奏だった。西洋音楽の語法から外れるようなところもあり、それはたぶんわざとやっているのだろう、パッセージの個々の音の粒をつぶして均してしてしまったような吹き方だ。マーラーの「大地の歌」で日本人奏者がこういう吹き方をすると、西洋のオーケストラでは出せない(曲想に不思議にマッチする)東洋の色が出るのと同じかも。

休憩なしで、ショスタコーヴィチ。良くも悪くもこういうイベントでの演奏だ。シンフォニーホールは初めてという人たちを意識した外連味たっぷりのパフォーマンス。定期演奏会じゃないので、そんなにリハーサルもしていないはず。それにメンバーによっては午前中から公演があった後での夜のおつとめ、なかなか集中できるものではないだろう。第1楽章ではバラバラ感が目立った。ところが第2楽章の低弦の鋭いリズムが響くとともにオーケストラがシャキッとしたのにびっくり。この楽章が最高の出来だった。各パートの上手さ、皮肉な曲想の徹底的な表出、コロコロ変わるテンポの面白さ、聴きどころ満載。あとは緩徐楽章を経て気違いじみた大騒ぎで終結という大向う受けの演奏。そしてアンコールがタヒチ・トロット(二人でお茶を)。これがまた見事、本日一番である。

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