バイエルン州立歌劇場来日公演「ロベルト・デヴェリュー」 ~ ほんとうの喝采
2011/10/1

二週連続のドニゼッティのオペラだ。震災の影響で、この春はチケットを確保していた公演の中止が相次ぎ、気がつけば、東京でオペラを観るのは今年初めてだ。

エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ
 ノッティンガム公爵:デヴィッド・チェッコーニ
 サラ:ソニア・ガナッシ
 ロベルト・デヴェリュー:アレクセイ・ドルゴフ
 セシル卿:フランチェスコ・ペトロッツィ
 ローリー卿:スティーヴン・ヒュームズ
 ロベルトの召使:ニコライ・ボルチェフ
 バイエルン国立管弦楽団
 バイエルン国立歌劇場合唱団
 指揮:フリードリッヒ・ハイダー
 演出:クリストフ・ロイ
 美術・衣裳:ヘルベルト・ムラウアー
 照明:ラインハルト・トラウプ
 合唱指揮:ゼーレン・エックホフ

エディタ・グルベローヴァ、かつてのような完璧な声のコントロールは失われ、随所に強弱のムラが感じられ、滑らかさに欠ける部分が散見されるのは否定できないにしても、それでも並の歌手の水準は遙かに超えている。もう60歳代半ば、驚異的なことである。それよりも何よりも、声楽的な衰えの影を補って余りある役柄に没入する表現力の凄さを思い知らされた公演だ。

過去の舞台との比較を云々する余地を与えず、目の前の歌と演技の熟成度で有無を言わせないという感じか。明らかに感知できるマイナスとプラスの双方を相殺してプラスにしてしまう芸の力、とてつもない歌手の、これが最後かも知れない日本の舞台だった。来年の「アンナ・ボレーナ」という話もあるが信憑性はいまひとつのようだ。たまたま天井桟敷で隣り合わせた方は初日の横浜公演もご覧になったらしく、声は横浜のほうがよく出ていたが舞台としての感銘度はこの最終日が勝るとの由。この日しか観ていない私には比較はできない。

ほとんど空っぽと言ってもいいような舞台、この裸で放り出されたような演出でエリザベッタを歌える人がグルベローヴァ以外にいるとは思えない。ミュンヘンではずいぶん前からかかっている舞台、彼女のためのだけのプロダクションだろう。

読み替え、翻案もので、時代は現代、エリザベッタはイギリス女王ではなく、企業の女性社長のような趣き、と言うよりも、周りの社員とおぼしき男たちの服装や行儀からすると、マフィアの姐御という設定のほうが近いかも知れない。その何もない舞台で組織のトップとしての権勢、恋敵への嫉妬、恋人への愛憎、意志の強さと弱さ、老いの寂寥、さまざまな心象を余すところなく歌で演技で表現する凄さ、ぽっと出の歌手など足許にも及ばないものがある。

この演出では台本との間にはかなり無理があるのは明らかなのだが、何故だろう、あまり違和感を感じない。ありがちな華美な衣装、豪華な装飾、それを切り捨てることで人物の内面にスポットが当てることを意図したのかどうか知らないが、役柄に人を得て充分な効果を上げている。

先のボローニャ歌劇場公演「清教徒」で感じた白々しい拍手喝采はここにはない。放射能が怖いのによく来てくれた、看板歌手はいないけど皆よく頑張ってくれた、悪いところには目をつぶりましょう、せっかく高いお金を払ったのだから盛り上がらなきゃ損というような空騒ぎとは一線を画したものだ。舞台に引き込まれる、圧倒された結果としての喝采に満たされた劇場は心地よい。

拍手喝采の中心にいたのはグルベローヴァだけど、負けず劣らず素晴らしいのはソニア・ガナッシ、エリザベッタとサラの声の質の対比がとてもよい。この人の暖かみのある声は、聴くものを虜にしてしまうようなところがあり、私もベッリーニのロミオで聴いて以来その一人だ。その後、キャンセルで聴き損なったこともあったりして、ずいぶん久しぶりに聴く彼女、変わらずに素晴らしい声だった。

他のキャスト、ロベルト・デヴェリューのアレクセイ・ドルゴフも役柄に合っているし、声もよく出ている。ノッティンガム公爵のデヴィッド・チェッコーニだけがいただけない。アンサンブルは無難にこなしていても、この人のアリアが唯一の穴だった。この男声二人は当初予定のメンバーからの代役、そういう事情があるにしても、こうもはっきり明暗が分かれてしまうのは劇場のキャスティングの疎漏ではないだろうか。グルベローヴァの代わりを探せという無理難題ではないはずだ。

「ファヴォリータ」、「ロベルト・デヴェリュー」、ドニゼッティを立て続けに聴くなんてことは滅多にないことだし、いずれも上演機会は稀なオペラだ。もう秋だというのに今年は満足度の高い公演が少ないと嘆いていたが、ここに来て当たりが続いたかな。

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