いずみシンフォニエッタ大阪定期演奏会 ~ 予定変更もまた良し
2012/1/28

どうしても外せない予定が入って、チケットを購入していた「イーゴリ公」に行けなくなった。仕方なくオークションで処分、だが、待てよ、西宮北口に15:00は無理でも、大阪城公園に16:00なら間に合うかも知れない。もともと行こうかと思っていた公演、オペラと重なって見送ったもの、たぶん半分は売れ残っているだろうから、当日券で充分だろう。

ヴァスクス:カンタービレ
 デニソフ:室内交響曲第2番
 新実徳英:室内協奏曲第2番TERRA(初演)
 ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番op.35
   金子三勇士(ピアノ)
   菊本和昭(トランペット)
   飯森範親(指揮)
   いずみシンフォニエッタ大阪

「抑圧からの挑戦!」~旧ソ連、体制下の傑作~と銘打ったコンサート、ピアノとトランペットという異色の組み合わせによるショスタコーヴィチのコンチェルトが目玉であることは間違いないし、これは私もナマで聴いてみたいと思っていた曲だ。その作品に気鋭のソリストを配する一方、ヴァスクス、デニソフという馴染みのない作曲家の作品を並べる。それに委嘱作品を加えて定期演奏会プログラムとしたのには、音楽監督西村朗氏の苦心が窺える。やりたいことをやるだけじゃいかん、やはり一定の集客は必要だ、しかし現代音楽の芸術性を訴える矜持だけは捨てたくないというところか。いいプログラムだと思う。

ラトヴィアの作曲家ヴァスクスのカンタービレという曲は、弦楽器だけで演奏される。バーバーの曲を連想させるようなところもある静謐な佇まいだ。不思議な曲でもある。フーガのように各パートが受け渡され高揚したかと思うと次の瞬間には、個々の奏者が完全に分奏となり指揮者も手を止める。アドリブでもなさそうで不協和音が響くわけでもない。よくあわせているものだと感心してしまう。久しぶりにコンサートミストレスに復帰した小栗まち絵さんはじめ腕利きの奏者が並ぶこのオーケストラならではだろう。

一転、次のデニソフは前衛の極みという音楽。この人が社会主義リアリズムを金科玉条とするソ連指導部から睨まれたのは当然だろう。作品自体は新しく、1994年のもの。管楽器・打楽器入り乱れ無茶苦茶な音楽ともみえるが、一方で凝縮感のあるサウンドでもある。今の時代の耳からすれば面白いという感覚のほうが先に来る。

休憩を挟んだあと、新実徳英氏の委嘱作品の初演となる。題名からして震災に触発されたものと知れるが、作曲者によれば「荒ぶる神と鎮める神」をテーマとする三楽章の作品とのこと。前の二つの楽章と終楽章が二つの神として対置されているようだ。初めの二つの楽章は同じように聞こえ、性格の違いはあまり感じられない。God calms the stormというコンセプトで作られたものと思うが、構成や語法に新鮮味はなく凡庸の印象を免れない。ひねもすテレビで流れる震災の映像を眺めながら曲を書いたとの新実氏のトークに、真に切実な体験から生まれ出たものとの距離を感じると言うのは過ぎているだろうか。本人の責任でも何でもないことだが。

コンチェルトを最後に置くオーケストラコンサートは珍しいが、このプログラムでは必然の配置である。これは紛れもなく天才の作品、新実作品の後だけに一層に際だつ。金子三勇士氏、サッカー日本代表の長谷部キャプテンを華奢にしたような感じだが、スタインウェイから叩き出される音はキリリとしまった小気味よさがある。滅多にピアノを聴かない私でもこの人は"持っている"人だと判る。これからとても楽しみな人だ。トランペットの菊本和昭氏も同様、京都市交響楽団からNHK交響楽団に移り首席を務めているとのこと。西村朗氏のトークによれば、一昨日に契約団員から正団員に昇格、昨日に子どもの誕生と目出度い続きのようだ。京響とN響じゃ給料が倍ほど違うんだろうなあと下世話な想像を巡らす。それはともかく、トランペットも見事だ。ソリスト扱いではないデニソフでもオーケストラの中でこの人は際だっていたが、ピアノと渡り合うこの曲ではピアニストを立ててやや控えめな感じで、余裕の演奏とも感じられた。この作品はいずみシンフォニエッタのためにあるような曲だ。弦だけの室内オーケストラにピアノとトランペット、選りすぐりのソリストを迎えたら最高の出来になることが保証されたようなもの。期待に違わぬ盛り上がりで大入りとは言えない客席も沸いた。

20歳以下なら無料となるバルコニー隅のユース・シートに若い人がかたまっている。これが奇妙に見えるのは、周りに空席が多いからだ。このコンサートは価格設定を誤っている。一律5000円のチケット価格は2000~3000円が妥当だ。この公演は他財団や文化庁の助成も受けているが、全てが有料入場者ではないことを勘案するとこの公演単体では間違いなく大赤字だろう。助成金の増加が期待できないならば、完売になるようなランチタイムコンサートやニューイヤーコンサートの価格を上げて、主催公演全体での均衡を図ることを考えてもいいし、価格を下げて有料入場者の数を増やせば収支バランスが今より悪化することはない。何よりも、面白くて内容の充実した演奏会を一人でも多くの人に聴いてもらうことのほうが大事ではないだろうか。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system