寺岡清高/大阪交響楽団 ~ とてもかわったブラームス
2012/2/15

大阪交響楽団の尖ったプログラムは、児玉宏音楽監督のときだけじゃない。常任指揮者の寺岡清高氏が振る定期演奏会もなかなかの凝りようだ。"ブラームス探訪"と題するシリーズ、まあこんなプログラムをよく考えたものだ。マーケットに限りがある大阪に四つもプロオーケストラがあるのだから、これぐらい特色を打ち出さないと埋没してしまう。

ブラームス(ブラームス編):ハンガリー舞曲第3番へ長調
 シューベルト(ブラームス編):歌曲「御者クローノスに」D369
 シューベルト(ブラームス編):歌曲「メムノン」D541
 ブラームス(ブラームス編):ハンガリー舞曲第10番へ長調
 ブラームス(ラインスドルフ編):4つの厳粛な歌作品121
 ブラームス(シェーンベルク編):ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25
   バリトン:谷口伸
   指揮:寺岡清高
   管弦楽:大阪交響楽団

それで、プログラムのユニークさと同等に演奏が魅力的であれば言うことなしなのだが、残念ながらそうはなっていない。

谷口伸さんというバリトンは、慶應大学のワグネルソサエティ出身の人で、サラリーマンから転身して歌手の道に進んだとのことである。歌への情熱やみがたくということなのだろう。個人の選択なので傍がとやかく言うことではないにしても、普通に会社勤めをしていたほうが良かったのではないかなあ。もちろんプロとして舞台に立つだけに立派な声だし、ドイツ語もきちんと勉強しているのだと思う。この人に欠けるのは弱声部でのニュアンス、美しさだ。全く平坦なつなぎ部分のような箇所が多すぎて、歌としての完成度に不満が残り魅力を感じない。声を張るところは綺麗な響きなのに、ソットヴォーチェの箇所は全くもって味気ない。アマチュアから抜け出すにはずいぶん時間がかかるものなのか。

シューベルトの二曲ではメリハリのある「御者クローノスに」のほうが買える。「こがねむしはかねもちだ…」で始まる4つの厳粛な歌は、我々日本人が聴くと厳粛どころか吹き出してしまいそうで困る。このブラームスの歌曲、谷口伸さんは4つの歌の性格の違いは歌い分けても、1つの歌の中での起伏というか"伏"の部分に前述の問題点が顔を出し、流れが切れてしまうような印象がある。リートは難しい。今回のようなオーケストラ伴奏だと、表情の変化はオーケストラが多くを担ってくれるのだが、やはり声の部分もそれに劣らないものがほしい。

さて、インストルメンタルのほうはどうかと言うと、このオーケストラの粗さが耳に付いた演奏だった。ハンガリー舞曲のうちあまり有名でない第3番と第10番を取り上げたのは、これらがブラームス本人の手による編曲だからということらしい。この2つの曲を魅力的に聴かせるには木管ソロ楽器の出来に負うところが大きいのだが、どうもいまひとつ、オーケストラの各パートの受け渡しもぞんざいな感じで、いささか散漫な演奏だ。

休憩後のピアノ四重奏曲のオーケストラ版は、メインに据えただけあってなかなかの重量感がある。ブラームスの2つのピアノ協奏曲はほとんどシンフォニーだから、これもその伝ということだろう。第一楽章の構成感などはいかにもブラームスという感じ。しかし、楽章が進むと、編曲者シェーンベルクの色が濃厚に出てくる。ブラームスだと絶対にこんなふうには書かないと思うような箇所が随所に出てきて面食らう。それは唐突な曲調の変化であったり、楽器の使い方であったりといろいろだ。この日のプログラム、これが一番楽しめた作品かな。

奇妙だったのは各楽章の終わりに拍手が入ったこと。前半プログラムの流れをそのままに後半に持ち越したということか。無料招待で入場している人が多いということだろう。プロセニアム側の座席は空だったが、見た目には7割ぐらいの入り、これだけ入れるにはオーケストラ事務局も苦心惨憺したはずだ。異色プログラムの連発だけで客足を確保するのは自ずと限界があるに違いない。この日のコンサートを聴くに、プログラムの物珍しさもさることながら、演奏の完成度を高めて行くことがやはり王道だろう。

寺岡清高氏がプログラムに書いているコメントに、同氏の選曲は「珍しい曲を取り上げることではありませんし、実験として弦楽合奏をすることではありません」といったくだりがある。何やら音楽監督との確執があるのかなとも思わせる表現である。外部の環境が厳しいなかオーケストラ内部でもいろいろあるんだろう。

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