井上道義/PACのショスタコーヴィチ14番を聴く ~ こんどは片道260円
2012/3/10

一週間前に金沢まで聴きに行ったショスタコーヴィチを、今度は西宮で聴く。青春18きっぷ残り4回分は9450円でてっちゃんの引き取り手がいたので、大阪・金沢の往復は1550円で済んだ。チケット代とあわせて2050円だから格安、今日はチケット代がオークションで1100円、阪急電車の梅田・西宮北口の往復が520円なので1620円、やはり地元のほうが少し安くなった。とまあ、あちこちのコンサート会場に現れるのは東条碩夫氏みたいだが、こちらは仕事じゃないので節約第一である。

ショスタコーヴィチ:交響曲第14番
 R.シュトラウス:サロメの踊り
 ラヴェル:ラ・ヴァルス
  ソプラノ:アンナ・シャファジンスカヤ
  バス:ニコライ・ディデンコ
  指揮:井上道義
  管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

先週とはオーケストラが替わり、プログラムもショスタコーヴィチは同じだが他は異なる。金沢のオーケストラだと今日の後半の曲は思いっきりエキストラを入れない限りは無理だ。PACにしたところでかなりエキストラが入っていた。

ショスタコーヴィチについては一週間前と基本的には同じだが、オーケストラが違うと印象も少し異なる。金沢では軽やかな感じもあった響きがここでは暗くて重い。死をテーマにした曲の内容からすれば合っているが、金沢の響きも捨てがたい。オーケストラにはやはりそれぞれの個性がある。歌手は変わらないが、金沢、東京、昨日の西宮を経ているので4回目の舞台となる。初回の歌唱と比べるとかなり自由奔放さが増した感じだ。バスのディデンコ氏のほうにそれが顕著だ。第8楽章「コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェ・コサックの返事」から、第9楽章「おお、デーリヴィク、デーリヴィク」あたりの表現のメリハリの強さにそれが表れている。この第8楽章、いろいろな解説ではあっさりとした記述が多いが、歌詞の内容はムスリム侮蔑以外の何ものでもない。日本で演奏するからいいようなものの、この時代、欧米ではちょっと取り上げにくいのではないだろうか。あまり演奏されないのはそんなところにも理由があったりして。

後半のプログラムはショスタコーヴィチの倍以上の奏者が舞台に並ぶ。金沢ではショスタコーヴィチがメインプログラムだったが、西宮ではやはり大編成ものがメインとなる。これらは良くも悪くもPACの特徴が出た演奏だ。

最初の7つのヴェールの踊り、このナンバーの持つ妖しい雰囲気からはかなり遠く、派手にオーケストラが鳴るばかりという印象かな。今年はオリンピックイヤー、ヘンな喩えになるが、踊るのが体操選手やシンクロの選手ではなく、格闘技か投擲系の女子選手といった風情だ。急速なティンパニの連打を伴い賑やかに始まるところから既にそんな印象、バタバタと舞台に駆け上がっていった感じ、その後に続く踊りの音楽も妖艶さよりも、健康的で力いっぱいというところか。弦楽器だけで済むショスタコーヴィチと違い、多数の管楽器が加わるシュトラウスではパートのバランスと繋ぎのスムースさがないとこの官能的な音楽が立ち上がらない。主役が全裸になってしまう舞台を観たことがあるが、この音楽は舞台がなくても劣情を刺激するような妖しさがあるはず。最後の音が鳴り止み、くるっと指揮台で客席に向いた井上さんが上着の前をパッと開ける。こんなパフォーマンスが嫌味なく出来るのはこの人ぐらいだし、それで思わず笑ってしまうようなあっけらかんとした演奏だったということも言える。

ラ・ヴァルスも同じような演奏だ。元気の良さと裏腹の粗さはこのオーケストラにはいつもつきまとう。以前よりはずいぶん良くなったけど、シュトラウスとラヴェルはまだハードルが高い。

定期演奏会だから普通ならこれでおしまいのところ、前回のショスタコーヴィチの時と同じくアンコールがある。「ショスタコーヴィチの短い曲をやります」と井上さんがアナウンスして始まったのはヨハン・シュトラウス2世のポルカ「観光列車」。ショスタコーヴィチはこの編曲をしていたらしい。オリジナルよりもオーケストレーションは厚く、予想外に特別のギャグもない。明日は震災一周年だから別のことをするのかも知れないが、明るく楽しくで何が悪い。現地ならいざ知らず、余所でいつまでも追悼と言っていても仕方ない。

帰路、阪急電車が渡る武庫川の河川敷は、阪神淡路大震災のあと瓦礫が堆く積み上げられていた場所だ。だが、それも短い間に消えたと思う。東北の被災地の瓦礫処理が一向に進まないことを聞くにつけ、遠隔地で追悼などするよりさっさと瓦礫を受け入れたら、どれだけ喜ばれることかと思う。私は嫌いだけど、反対者に「黙れ!」と一喝した石原知事は偉い。

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