新国立劇場「さまよえるオランダ人」 ~ 交々の千秋楽
2012/3/20

ひと月の間にヴェルディ、ワーグナーと交互に初期作品を聴いてこれが四つ目、新国立劇場でのプレミエのときは観ていないので今回が初めて。この日は千秋楽、今回の上演の評判は良いものも悪いものも耳に入ってくる。新国立劇場では終わりのほうが良くなるのが通例なので、さてどんな具合になるか。

オランダ人:エフゲニー・ニキティン
 ゼンタ:ジェニファー・ウィルソン
 ダーラント:ディオゲネス・ランデス
 エリック:トミスラフ・ムツェック
 マリー:竹本節子
 舵手:望月哲也
 合唱:新国立劇場合唱団
 合唱指揮:三澤洋史
 管弦楽:東京交響楽団
 指揮:トマーシュ・ネトピル
 演出:マティアス・フォン・シュテークマン

一番素晴らしかったのは第二幕のオランダ人とゼンタの長大な二重唱だ。このオペラはイタリアオペラのスタイルとワーグナー後年の楽劇スタイルが入り交じった面白さがあるのだが、このデュエットはまさに後者そのものという感じ。オランダ人のエフゲニー・ニキティンとゼンタのジェニファー・ウィルソンの実力が遺憾なく発揮されたというところ。これだけの長さを退屈させずに聴かせるのは並大抵ではない。起伏に富んだ歌唱だし、二人のバランスも大変にいい。

このデュエット、じわじわと音楽を盛り上げていくトマーシュ・ネトピルの手腕も大したもの、この人は若くしてプラハ国立歌劇場の音楽監督だそうだが、実力のほどがしのばれる。いつもの東京フィルではなくて東京交響楽団という違いかも知れないが、序曲の切れ味の鋭さも特筆ものだったし、随所に才能の片鱗を感じる。とは言っても、全曲通してそうはいかないところがこれからの経験に待つ部分かな。

今ひとつの部分ははっきりしている。ダーラントの登場シーンが悉く冴えない。ディオゲネス・ランデスという人のスカスカ声には客席でうんざりしてしまうのだが、ピットでカバーするには至らない。彼が出る場面、感興を殺ぐばかりか音楽全体が弛緩してしまう印象だ。何でこんな歌手を呼んでくるのかという不満が残る。ちゃんと聴いたうえで招聘を決めるならこんなことにはならないと思うのに。逆にエリックのトミスラフ・ムツェックという人はイタリアオペラ的なテイストがあってこの作品のテノールとしては面白い配役と見た。

邦人歌手は好演だ。竹本節子さんは普通は気にもかけないマリーという役の存在を認識させる歌だ。第二幕でのゼンタや女声コーラスとのコントラストがいい。舵手の望月哲也さんはびわ湖ホールの「ボエーム」で聴いたときには全く感心しない出来だったが、この役ではなかなか声が出ている。主役には力量不足でも、というところなんだろうか。

そしてコーラス、終幕の合唱がこんなに長かったかなあと思った。新国立劇場のコーラスはずいぶんレベルアップしたしボリューム感も大したものだ。でも長いと感じたのは力で押しすぎて自然な呼吸とはちと離れているようなところもある。常にパワフルでも長く続くと平板になるのは道理、これは難しいところだ。さらに問題はオランダ船のコーラスが続く場面、天井から音が降ってきたのにはがっかり。
 合唱指揮の三澤さんが自身のブログでも明らかにしているようにこれは録音である。とても興味深い楽屋裏の話が載っているので一読に値するのだが、なんだか言い訳がましい感もある。録音を流すこと自体は否定しないが、あれはうるさかったし、舞台とは全然違うところから音が来るのは方向感が出鱈目だし、その音も割れてしまっているようでは困る。三澤さんは専門家なのにPA(public address)と言ってしまうところが、語るに落ちたという感じ。要は公会堂での演説の拡声と同次元、SR(sound reinforcement)の域には達していないということだろう。技術的にもっと磨きをかけてもらわないと艶消しでしかない。

ゼンタがオランダ船に乗り込み海に沈みオランダ人は陸に残るという幕切れの演出はこれまで見たことのないもので、なんだか奇妙な印象だ。第二幕のシーンでも糸車を回す女声コーラスの後方、室内の奥には糸車ではなく舵が置かれゼンタがそこで歌う。この位置関係は第一幕でオランダ人が舵を取るのと全く同じ、そして終幕は第一幕でオランダ人が立った舳先にゼンタが仁王立ち。まさに身代わりというか、ゼンタとオランダ人の同一性を強調したものだろう。その当否は何とも言えないが、視覚的には判りやすい演出かも知れない。これは幽霊物語だけに、いろいろな試みが可能なオペラということだろう。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system