金聖響/PACオーケストラのマーラー第7交響曲 ~ これでいいのだ
2012/5/27

ロックガーデンの山歩きのあとでコンサートである。山の裏側まで行けば有馬温泉で汗を流してということもできるが、そんな時間はないので着替えただけ。西宮北口のホールと駅を挟んで反対側、アクタ西宮東館5階の市立図書館で開演前まで一休みだ。休日の15時開演なら朝早く出たら六甲の山登りとコンサートの両方が楽しめる。今日の出発は遅かったけど、次は温泉付きにするぞ。

マーラー:交響曲第7番ホ短調
  管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
  指揮:金聖響

今月は西宮でマーラーの大曲が続く。第3番に続いて第7番、何度聴いてもこれは掴みどころのない作品だ。毎度毎度そんな印象だから、やっぱりこれは壮絶な失敗作だろう。ギター、マンドリン、タンブリン、鞭、カウベル…、エキゾチックな楽器(?)が満載なのは前作交響曲と同列だが、その効果や必然性は前作には及ばない。巨大なスコアの行間に苦吟している作曲家の声が聞こえるようだ。この作曲家を好きな人にはそれも魅力なんだろう。私もその部類に近いがそこまでマニアックでもない。第7・第8という力業の空回りのあとに「大地の歌」や第9の傑作が生まれたのだから、これは凝縮の前の拡散、避けられない回り道だったのか。

スケルツォを真ん中に二つの夜曲を配し両端には騒々しい音楽という五楽章、ことさらシンメトリカルにしたのは、作曲者自身そうでもしなければ、分裂分解の憂き目に遭うと考えたからだろう。そんな曲だから、作曲者と同様に指揮者にとっても扱いに苦労する作品の最たるものだろう。求心力より遠心力が遙かに強い。何とかきれい纏めようとしても、それを嘲笑うかのような楽想がそんな考えを打ち砕く。ここはなすがまま、スコアに任せて拡散の楽しみを味わえばよいではないかと開き直るのが正解かも知れない。そのときそのときに鳴る音の流れに棹ささず、裸のマーラーを伝えることに徹するというアプローチが案外正鵠を射ている。

金聖響氏と兵庫芸術文化センター管弦楽団、両端楽章では結構えげつなさを強調するようなアクセント付けが見られたり、クライマックスへのためを意識したりと何とか作っていこうという意思が感じられたが、中間の楽章群は自然体だ。どちらがいいとも言えないし、この曲は何でもありという気もする。第7はいつも不可思議体験、熱狂とか感動とかいう尺度では測れない。大暴れするマーラーの誇大妄想の可笑しさ面白さを楽しむに如かず。歩きくたびれていても眠気は襲ってこない、まさにバカボンのパパの心境か。

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