飯守泰次郎/関西フィル「ワルキューレ」第3幕 ~ 戦乙女に囲まれて
2012/6/14

ずいぶんたくさん招待状が出ているんだなあとびっくり、私と同じく宛名のない葉書を持った人の列に並ぶ。こちらはオークションで入手したものだが、どんなルートで流れているのか興味ぶかい。招待状には当日窓口でA席と引き換えとあり、渡されたチケットは前から二列目右寄り。これをA席というのはどうかなあと思ったが、喉まで出かかった文句を呑み込む。

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」より
  第1幕への前奏曲
  エルザの大聖堂への入場
  第3幕への前奏曲
 ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第3幕
  ブリュンヒルデ:畑田 弘美(ソプラノ)
  ジークリンデ:雑賀美可(ソプラノ)
  ヴォータン:片桐直樹(バス・バリトン)
  ヘルムヴィーゲ:佐竹しのぶ(ソプラノ)
  オルトリンデ:木澤佐江子(ソプラノ)
  ゲルヒルデ:白石優子(ソプラノ)
  ヴァルトラウテ:小西潤子(ソプラノ)
  ジークルーネ:森川華世(ソプラノ)
  ロスヴァイセ:西村薫(メゾ・ソプラノ)
  グリムゲルデ:山田愛子(メゾ・ソプラノ)
  シュヴェルトライテ:橋爪万里子(メゾ・ソプラノ)
  管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
  指揮:飯守泰次郎

春にはヴェルディが続いて、6月にはワーグナーが続く。プログラム前半で演奏された「ローエングリン」は一日おいて東京で観る予定だ。今日はその前哨戦という感じ。三つのナンバーが取り上げられて、それぞれの雰囲気は良く出たものだった。ワーグナーに限らず飯守さんのドイツものは雰囲気ということでは特筆すべきものがあるのだが、オーケストラ全体としての精度が伴わないときには今ひとつピリッとせず演奏の感銘度を減殺することがある。この日の「ローエングリン」もパートのバランスや受け渡しの緻密さが関西フィルにもう少しあればと思うところが多い。声楽抜きのナンバーだっただけに余計にその印象がある。

さて、休憩を挟んだ「ワルキューレ」、今回はシリーズの看板みたいになっている竹田昌弘さんの出番がない第3幕だ。私の席ではオーケストラのバランスなど期待すべくもないが、果たして声楽はいかがなものだろう。舞台に近いから声はオーケストラにかき消されることはないにしても。

そして登場した歌い手たち、指揮者の左横にブリュンヒルデ、ジークリンデ、ヴォータンの主要キャスト、舞台上手には8人のワルキューレたちが並ぶ。すなわち私の目の前だ。A列には客を入れていないからかぶりつき、近い人だと3mぐらいしか離れていない。ステレオどころかサラウンドの音響である。彼女たち、とっても好演、一人ひとりのパートが完全に分離して聴けるし、それぞれの掛け合いのアンサンブルとしても見事だ。舞台を遠くから観ているのとずいぶん違う。この第3幕冒頭の音楽はなかなか良くできていると改めて感心する。比較的ゆったりとしたテンポで音楽を進めるから、通常ならさっさと通り過ぎるような場面なのにじっくりと聴くのは滅多にないこと。

関西でヴォータンを歌えるのは多分この人しかいないだろうと思う片桐直樹さん、硬質な声で娘への怒りがストレートに伝わってくる。それと裏腹の慈しみが絡まった複雑な感情表現というところでは今ひとつという感もある。それでも立派なヴォータンであることは間違いない。

ブリュンヒルデの畑田弘美さんはパワー的には物足りないところもあるが、第3幕は戦乙女というキャラクターが表出する場面ではないから、こういう歌い方も可なのだろう。充分に余力を持ってなおかつ叙情的に表現してこそワーグナーのヒロインだとは思うのだが、まあいいか。結果的に、ジークリンデの雑賀美可さんとの声や表現のコントラストがつかないという印象もあった。

飯守泰次郎さんは直前に東京で「さまよえるオランダ人」を振ったばかりで、ワーグナー続きということになる。いつもながらのオーソドックスな指揮振りで安定感がある。年に一度ぐらいしか接することはないが、今回の印象はずいぶんお年を召したなあというもの。立ち姿が老人のそれになっていたし、指揮振りと呼応して音楽の端々の切れ味が悪く茫洋感が漂う場面も垣間見えた。

この公演後、日をおかず同氏の新国立劇場のオペラ部門芸術監督への就任(平成26年9月)が発表された。これで指揮者の芸術監督が三代続くことになる。役人の人事でもないのに任期3年できっちり替わるというのもどうかと思うし、キャリアの「あがり」のポストのようになりつつあるのも疑問だ。飯守さんにしても任期末には後期高齢者の年齢になる。しかし、それは飯守さんに責任はないこと、ドイツもの一辺倒になってもらっても困るが、オペラを熟知した指揮者の芸術監督就任に期待したい。

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