恒例、真夏の定期 ~ 京都市響のプーランク
2012/8/12

8月に定期演奏会を行うオーケストラは、多分ここだけじゃないだろうか。それもあってか、真夏の京都に足を運ぶことが多い。それに、なかなか魅力的なプログラムであることも遠い北山まで向かう気にさせる。今回もユニークなラインアップだけど、難点は交通費がかかること。京都の地下鉄の高さもあるが、1人で行ってもクルマのほうが安上がりというのでは、環境に優しい交通機関へのシフトはままならないだろう。それもあってか、京都コンサートホールの駐車料金は高い。コンサート来場者の割引もない。近隣の時間貸しのほうがお得というのもねえ。

ガーシュウィン:パリのアメリカ人
 プーランク:2台のピアノと管弦楽のための協奏曲ニ短調
 プーランク:スターバト・マーテル
  瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ
  谷村由美子(ソプラノ)
  京響コーラス
  京都市交響楽団
  井上道義(指揮)

パリのアメリカ人は、ずいぶんテンポを動かした自由闊達な演奏で楽しめた。ちょうど指揮者の横のバルコニー最前列だったので井上さんのタコ踊り、じゃなかった百面相がよく見えて可笑しい。オーケストラのメンバーももっと伸び伸びとやったらいいのにと思うのだが、真面目すぎるのだろう。指揮者ほどのノリが見られないのは惜しい。ナマでこの曲を聴くのは初めてのような気がするが、よく書き込まれた作品だなあと、今さらながらに思う。もうひとつの超有名ナンバーと双璧をなすだけのことはある。もっと書いてくれていたらよかったのに。

ガーシュウィンとプーランクの間にインターバルがある。いちおう休憩ということだが、舞台をがらっと配置換えする場つなぎに井上さんのトーク、いつもながらサービス精神の旺盛なこと。

弦楽器が舞台下手、上手には管楽器と打楽器、真ん中には対面して二台のピアノ、どんな曲なのか興味津々でソリスツの登場を待つ。若い男女のデュオだった。デュオ専門であちこちのコンクールに出ているらしい。三楽章で20分ほどの曲なので退屈しない。古典のコンチェルトのイメージとはだいぶ違う。ピアノはそんなにテクニック的に難しい感じはないし、カデンツァ(あれがそうだとすれば)はスローテンポですらある。オーケストラのパートは伴奏というよりもピアノも含む合奏という感じだ。急・緩・急の構成は約束どおりにしても、各楽章の雰囲気はコロッと変わるので、全曲を貫くようなものはない。これ以上長くなるときっと散漫になるところを絶妙なバランスでまとめたということか。面白かった。

さて、ほんとの休憩のあとはスターバト・マーテルだ。非宗教的人間なので、この手の音楽は苦手だが、ロッシーニのスターバト・マーテルだけは愛聴している。同じ歌詞に曲を付けて、ロッシーニとプーランクじゃえらい違いだ。こちらのほうは宗教音楽という臭いがする。歌詞の意味をそのままに深い悲しみを歌うコーラス、オペラのアリアと間違いそうなナンバーまであるロッシーニとは対照的だ。プーランクもなかなかいい。

せっかくソリストに谷村由美子さんを迎えているのに、彼女が歌うナンバーは三つだけ、それもコーラスと一緒だから純粋のソロナンバーではない。ちょっと残念だ。谷村さんはヘンデルの「デイダミア」日本初演の際に題名役で聴いたのが強く印象に残っている。清冽な声と言葉の表情が豊かなことに驚いた人だ。この曲でも繰り返しの多い歌詞のニュアンスの表出に見るべきものがある。ヘンデルは6年前のことだ。そのときと比べると、少し声に厚みと陰影が加わったような気がするが、短い出番だし、作品の性格もあるし、確かなことは言えない。

あくまでもこの作品の主役はコーラス、ずいぶん練習したに違いない。暗譜である。アマチュア、ほとんどの人は初めて取り組む曲だろうから、年末第九のルーチンと同じようにいかないはずだが、このレベルまで仕上げるには相当の手間暇がかかったはずだ。休憩のトークでもコーラスは一から作り直したというようなことを井上さんが言っていたが、聴いてみて納得である。練習は裏切らない。そのコーラス効果もあってか、真夏の定期にしてはかつて見たことのないような、ほぼ満席だった。

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