小泉和裕/日本センチュリーのショスタコーヴィチ
2012/10/12

京都での仕事が長引いて序曲はパスかなと思っていたが、電車の乗り継ぎがよくてシンフォニーホールの開演に間に合った。名古屋で顔見知りの楽団関係者とばったり会って、「今度の10月定期には行きますよ」と言っていたのだが、いつものように直前になってオークション入手した最安席だ。お目当てはショスタコーヴィチ、この第10交響曲は以前に大阪フィルの定期で聴いたウルバンスキの素晴らしい演奏が記憶に残っている。

ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」
 チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲
 ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調
  チェロ:ニコラ・アルトシュテット
  管弦楽:日本センチュリー交響楽団
  指揮:小泉和裕

「謝肉祭」という序曲は前にも聴いたことがある。なんとも騒々しい曲だ。オーケストラ公演のプログラムの最初に置かれることが多いのは景気づけという意味合いなんだろうか。どうもそのあたりピンと来ない。ゆっくり大阪に向かって、パスしてもよかったかなという印象。こういう曲でニュアンスを込めた演奏をこのオーケストラに期待するのもという感じ。元気なのはいいのだけど。

ニコラ・アルトシュテット、二階席後部で聴いていてもよく響くチェロだ。骨太でありながら繊細、1821年パリ製の「ニコラ・リュポ」とプログラムには書いてあったが、ストラディバリより100年は新しい時代のもののよう。そりゃストラディバリも寿命が来ているはずだし、そろそろ神話は終わりだろう。ドイツ音楽財団から貸与されているとのことだから、税関で押収ということもないのだろう。やっぱり飛行機は一席確保なのかな。大きな楽器は大変だ。

ロココの主題による変奏曲、冒頭のドヴォルザークよりは遙かに上の作品だ。アルトシュテットのソロを聴く楽しみだけでなく、チャイコフスキーの料理の冴えも堪能できる。これには間に合わせて到着したいと思っただけのことはある。

さて、お目当てのショスタコーヴィチ、この曲は演奏者によって全然違って聞こえるのが不思議だ。木に竹を接ぐような流れの悪さが随所にあるのは、マーラーでもショスタコーヴィチでも同じだけど、それがやけに目立つ演奏だった。

第2楽章のような一気呵成に突き進むような音楽だと目立たないが、緩急・強弱の移り変わりが激しい楽章ではどうもギクシャクとした感じで、流れが滞ってしまう印象だ。こういう音楽をひと繋がりのものとして聴かせるのは至難の業だ。いっそギャップの大きさを露わにしてしまうアプローチのほうが容易ではないだろうか。小泉さんがそういうスタンスで臨んだかどうか定かではないし、オーケストラとしても練り上げる時間が充分でなかったのかも知れない。ともあれ、聴くたびに違う曲のように聞こえる作品というのはつい足を運んでしまうものだ。

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