ラザレフ/京都市交響楽団のチャイコフスキー ~ 爆演、フォルテ増量
2012/10/28

昨年、楽しみにしていた京都市交響楽団のラザレフ客演がキャンセルになった。今回はそれを受けて、仕切り直しというコンサートだ。日曜日、京都まで車を走らせる。この公演は完売とか聞いていたがちらほらと空席もある。登場したラザレフ氏、開演直前のプレトークから気合いが入っている。チャイコフスキー本人は駄作と言っていたシンフォニーだが、そうじゃないことを確かめてほしい、駄作とは言わせませんと、自信たっぷりだ。

チャイコフスキー:弦楽セレナード
 チャイコフスキー:交響曲第5番

この人の指揮は日本フィルの定期でショスタコーヴィチの第11交響曲を聴いて以来だ。あのとき、ダイナミックレンジのあまりの大きさに仰天したことをよく覚えている。とりわけ聞こえるか聞こえないかの弱音の凄さ、そんなツボでは顔を客席の方に向けて棒を振る異様さ、初めて見るものだった。そういうライブならではの爆演を期待して足を運んだ京都コンサートホール、まさに予想に違わぬ完全燃焼の公演となった。

前半の弦楽セレナーデであんなに客席が盛り上がるのは滅多にないこと。何しろ出だしの総奏からして太い芯のある音が出てきて驚きである。京都市響の弦メンバーが目一杯弾いている。緩徐楽章も弛緩は全くない。これほど緊密な構成の作品だったのかと改めて認識、終曲に冒頭のテーマが再帰して見事に完結、プログラムの最後でしか耳にしないような歓声と拍手。

後半のシンフォニー、お安いP席だったのでオーケストラの背面、そこからオペラグラスで眺めると、コントラバスのパート譜にはいっぱい書き込みが。ppmfmfffff ffffffなんて調子でワンランクアップ、とにかく低音のフォルテ増量、そして1音ごとに上げ弓、下げ弓の記号がびっしり。よほどバスを重視しているんだなあと腑に落ちる。チャイコフスキーの音楽、あるいはロシアの音楽は、これぐらいのレベルの音を出すつもりでやってほしいということなんだろうか。京都市響、あるいは日本のオーケストラのいつもの基準では物足りない、この低音の下支えの上にブラスが咆哮してこそ望むべき音響が得られるということだろう。コンサートホールを満たす豊かな響きに包まれると非常に説得力のある措置と感じる。

1・2楽章、3・4楽章はそれぞれ間を置かずアタッカと言ってもいいぐらいで、二部構成といった趣で演奏された。楽章間の切れ目はゲネラルパウゼといった感じだ。自ずと客席の集中度も高まる。ある意味では外連味たっぷり、かと言って大向こう受けを狙った際物ではなく音楽の本来持っているエネルギーを噴出させたという感じだろう。これがラザレフ節、とにかく実演で聴衆のハートを鷲づかみにする指揮者だ。聴き終えて爽快感に満たされる。

定期演奏会には珍しくアンコールが。四羽の白鳥の踊り、これがまたメリハリの効いたチャーミングな演奏。骨太で軽快、うーん、柄が大きい、こういう風に演奏するのか。何度聴いたことか判らないほどの曲が並んだプログラム、耳を洗われるような気がした爆演、北山に足を運んだ甲斐があった。

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