井上道義/PACのオール・プロコフィエフ ~ 仕切り直し共演へ
2012/11/18

2週連続の西宮となった。一度行かねばと思っていた西宮北口のカレー蕎麦、このあたりかと探し回っても見あたらない。ようやく発見したら、日曜・祝日は休みだ。美味いか不味いかは食べてみないと判らないが、西宮の人への浸透度は高いようなので、今度は土曜日にタッパ持参で行くぞ(残った汁の持ち帰り可とか)。

バレエ音楽「ロメオとジュリエット」op.64より
 ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調op.63
 交響曲第7番嬰ハ短調op.131
  指揮:井上道義
  ヴァイオリン:パトリツィア・コパチンスカヤ
  管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

この井上/コパチンスカヤのコンビは2010年7月に大阪フィルのマチネシンフォニーで共演するはずだった。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番が予定されていたが、シーズンプログラムが発表された直後にソリストが交代という奇妙な経緯となった。地震の前だし、その後に続発したキャンセルとは違うのだが、不可解極まりないものだった。オーケストラと演目が替わって共演が実現したということになる。

今回はオール・プロコフィエフ、結構なボリュームのプログラムだ。アンコールも2曲あったのでコンサートは2時間半にわたった。最初の「ロメオとジュリエット」は組曲からランダムに抽出した9曲、珍しいのはコンチェルトの前にここで休憩、後半がコンチェルトとシンフォニーという構成であったこと。それだけ前半が長い、ちょっとてんこ盛りすぎるのではないかとの印象もある。曲数を減らして個々を磨き上げるほうが良かったのではないかな。舞台を埋めた大編成、若いオーケストラは元気いっぱいでスタミナ充分とは言え、粗っぽい演奏が続くのはよくない。

前半はともかくとして、期待はコンチェルトだ。赤いロングドレスで登場したコパチンスカヤ、舞台中央に立ったらいつものように裸足だ。今日は靴を履いていたと思ったのに、いつの間にか脱ぎ捨てていた。楽譜を持って出てきたので、おやっとそちらに気を取られていて見落としたのだろう。

いつものように熱演というか、音楽に没入している様子は見て取れるが、どうして楽譜ありなんだろう。それをあまり見ている様子はないのだが、どうもその分インパクトが弱くなる。オーケストラがソリストに触発されて熱気を帯びるという感じもそれほどない。すれたオーケストラなら、指揮者やソリストに微妙に感応して普段と違う演奏になったりするのだが、こういうところ、若いオーケストラはあまり変わらない。

一番盛り上がったのは彼女のアンコールだ。聴いて思い出した。前にファジル・サイとのダブルビルのコンチェルトのときに聴いた曲だ。ヴァイオリンと自身のスキャットが組み合わさった何とも不思議で軽妙な曲、てっきり彼女のオリジナルだと思っていたら、ちゃんと作曲家がいるんだ。帰りにホールの掲示にあった。この曲、「あの口三味線入りの曲には仰天したなあ、何ともすごかった」とは前回同じコンサートを聴いた大先輩の弁であるが、何度聴いても面白い。最前列に座っていた子どももさぞびっくりしたことだろう(未就学でなければ入場可)。

プログラム最後のシンフォニー、たぶん聴くのは初めてだと思うが、わかりやすい曲だ。1952年の作品ということなので、1953年のショスタコーヴィチの第10交響曲とほぼ同時期だ。共産党指導部の締め付けが厳しい時代に世に問うということでは、何としても批判は免れたいという気持ちが滲むところだろう。ショスタコーヴィチが作曲家としての衝動を押さえ込むのではなく、当局への迎合との間でギリギリの線を模索したのと比べると、プロコフィエフはあっけらかんとして問題回避型のアプローチみたいだ。曲想としてはショスタコーヴィチの第6交響曲の雰囲気と近似している。

四つの楽章が何ともバラバラな感じというのもロシアの交響曲らしいところ。何とか辻褄をあわせようと前楽章の主題を無理矢理回帰させるあたり、作曲家本人も統一感の無さを自覚して苦労しているなあと微笑ましくさえある。こういう印象は、演奏によってはある程度払拭できることもあるのだが、そこまでの緊密感をこのオーケストラに聴くことは難しい。

ここでもアンコールの曲のほうが吹っ切れた感じで素直に耳に届くというのも可笑しい。成熟はあり得ず、万年成長途上というオーケストラの限界がこんなところに見えるのかも知れない。

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