びわ湖ホール「コジ・ファン・トゥッテ」 ~ 演出もご当地?
2012/11/30

ここ数日、政治の世界で脚光を浴びている滋賀県、知事がどうこうというよりも、私はいったい何度目の小沢新党なんだろうとしか思わないのだけど、2週間後には結果が出ることだ。いつもびわ湖ホールに行くときは大津駅から右手にだらだら坂を下って県庁の前を通る。様子はと見ると、マスコミの騒ぎはどこやら、土曜日曜のように閑散としている。きっと渦中の主はここにはいないのだろう。

京阪のチンチン電車の踏切を渡って、滋賀県警本部を過ぎると正面が琵琶湖文化館、明智左馬之助湖水渡りの碑が横にある。湖岸を歩いてびわ湖ホールにはホワイエ側の裏手から入る。水辺のエントランスがあるのは稀有のこと、テアトロ・フェニーチェぐらいしか思い当たらない。こちらこそ正面ではないか、もう少し立派にしてアピールしたらいいのに。

フィオルディリージ:佐々木典子
 ドラベッラ:小野和歌子
 デスピーナ:高橋薫子
 フェランド:望月哲也
 グリエルモ:堀内康雄
 ドン・アルフォンソ:ジェイムズ・クレイトン
 合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
 管弦楽:日本センチュリー交響楽団
 指揮:沼尻竜典
 演出・照明:ジョルジュ・デルノン
 装置:ジョルジュ・デルノン
    マリー・テレーゼ・ヨッセン
 衣裳:クラウディア・イッロ
 音響:小野隆浩

シングルキャストでの2回公演なので金曜日と日曜日になったんだろう。平日の午後なのにまずまずの入りだ。バーゼル歌劇場との共同制作、しかもこちらがプレミエということで、遠来組も含めて見知った顔が多い。遠来組ということでは歌い手は東京を拠点とする人たちだし、オーケストラにしても江口有香さんというのは、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートミストレスなので東京からのゲストである。地元への配慮もある程度は必要だろうが、聴く側にとっては実質優先で何の問題もない。

モーツァルトのオペラは冗長なので私はあまり好きじゃない。「コジ・ファン・トゥッテ」もとっかえひっかえのアンサンブルが続く第1幕が長すぎて、終わりの頃には退屈してしまうのが常だ。モーツァルトを神格化する向きにはとんでもない発言かも知れないが、正直なところだから仕方がない。今日もその伝に漏れず第1幕では些か退屈してしまった。逆に第2幕ではぐっと緊密な音楽になるから、弛緩することなく最後まで聴き通せる。今日の演奏にしても然り、休憩を挟んだ前半と後半では出来自体もずいぶん違うように思えた。

序曲が始まるとすぐに幕が開く。舞台中央にはソファ、上手には姿見、デスピーナが衣装箱を運んでいる。舞台の前後を分ける中吊りの幕があり、そこには大きな時計が6つ並んでいる。左から、東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ローマ、モスクワということで、日本は開演の午後2時、他は時差どおりの時刻だ。6本のコードがこんがらがった曲線を描いて下手の電源に伸びている。この時計は第2幕では突然狂ったようにぐるぐると動き出したり、2つを残して電源が抜かれたりと様々になるが、最後は終演の午後5時になる。いったいどういう意味かは不明。

この序曲、締まった音がするのに驚く。普段の日本センチュリーとはちょっと違う感じだ。沼尻さんが引き出す音楽に生気がある。序曲に続いて男声3名のアンサンブルに移ると、彼らは客席前方のドアから登場、手にはウィスキーのグラス、オーケストラピットの前方を動き回っての歌となる。舞台上の楽しそうな様子の姉妹との対比という効果はあるにしても、音楽的には厳しい。合わせろと言うほうが無理な感じ。酔っぱらった勢いでの愚かな賭け事という設定には無理はないのだが、些か演出が先走ってしまっている。ドン・アルフォンソが手に持つボトルはサントリーの「山崎」だ。大津からJRで7駅目のご当地、はて、バーゼルでは何に変わるんだろう。

フィオルディリージとドラベッラの姉妹、視覚的には母娘のほうが近い気もするのが佐々木典子さんにはちょっと気の毒な感じ。小野和歌子さんがスリムなだけに、佐々木さんがおばさん体型に見えてしまう。佐々木さんの歌は、端正なフォルム、その美質は変わらないものの全音域でムラのない音色かという点では、以前と比べるとどうかなという気もする。それにしても、彼女のフィオルディリージは志操堅固のイメージが強い、別の男性に心を動かされるという風には見えない。

その点、小野さんのドラベッラは気が多いというキャラクターを見事に表現している。この人、着ぐるみでヤナーチェクの動物役を歌ったのを聴いたのが初めで、その後は西宮でヘンゼルを聴いているが、ずいぶんと良くなった。本日のキャストで一番だろう。声の力があるし表現力も備わってきている。これからが楽しみな人だ。面白かったのは、第2幕でグリエルモのほうに乗り換えたあと、ハミングするのがドン・ジョヴァンニとツェルリーナのデュエットの一節、"Vorrei, e non vorrei…"というのがあまりにもぴったり。「ドン・ジョヴァンニ」ではフィガロを引用しているモーツァルトも、これは書き込んでいないはず。となると演出家のアイディアか。このシーンの前、グリエルモとフェランドのシーンでは、堀内さんはズボンを上げながら登場ということだったから、既にいたしてしまったという解釈だろう。なにかと論議のあるツェルリーナの貞操問題と懸けているのかも。

男声陣は期待以上のものはない。望月哲也さんはびわ湖ホールのロドルフォでもあまり感心しなかった覚えがある。素質がないわけではないのに、丁寧さに欠ける、声が安定しない、欠点が先に目についてしまう。再び起用したということは沼尻さんは買っているのかも知れないが。

堀内康雄さんはヴェルディを歌うときの素晴らしさを知っているので、このグリエルモは物足りない。まだレパートリーとして身につくというところまで来ていないのか、それとも歌唱スタイルがヴェルディ以外とは親和性がないのか。期待水準が高いせいもあるのだろうけど。

唯一の海外招聘、ドン・アルフォンソのジェイムズ・クレイトン、なるほど呼ぶだけのことはあると驚くようなことはない。この人、音量の強弱の付け方が独特、なかなか芸達者でもある。

デスピーナの高橋薫子さんは、ちょっともったいない感じ、彼女の良さが100%発揮される役どころとは言えないし。

恋人の取り替え、変装して気づかないはずはないから、もともとあり得ない話、だからか、演出では変装と言えるほどのことはほとんどなく、顔写真のパネルを持ち、これは変装しているのだとのお約束だ。それはそれで充分、ヘンに策を弄するよりもすっきりする。使われてるのは映画スターなどの著名人のパネル、コーラスも使う場面があるから多数に及ぶ。中には日本人のものもある。これもバーゼルでは顔ぶれががらっと変わることだろう。

第二幕の冒頭、恋人の品定めよろしく、姉妹が床に並べたパネルの両側に座るシーン、私にはご当地演出のように見えてしまった。まるで新年早々に近江神宮で行われるかるたクイーン決定戦ではないか。演出のジョルジュ・デルノン氏がそんなことを知るはずもないから、誰かが知恵を付けたのだろうか。たんなる私の思い過ごしか。たまたま、前の職場で奥さんが歴代クイーンに名を残しているという人がいたから、連想しただけのことか。

どんなふうになるかと期待した結末は、どうもはっきりしない。ドラベッラが「こんなん、あほらし」と立ち去ることだけははっきりと判るが、あとの人たちはどうなんだろう。いずれにせよ、本当にこういう次第であれば関係修復は不可能であるはずだし、ハッピーエンドで終わる演出など現代では少数派だろう。デルノン演出、どんな工夫があるか期待したが、あまり明確なメッセージは感じられなかった。

演出は刺激的なものではなかったが、鬱陶しいことはなく、舞台としてはすっきりしていた。ピットの前での演技・歌唱は技術的にクリアすべきことが多いにしても、その意図はわからなくもない。クラウディア・イッロの衣装の色彩ゆたかで綺麗だ。コンセプトはそのままにして、デザインは歌い手に合わせて変えても良かったかも知れない。似合う似合わないということが必ずあるのだし。

びわ湖ホールの制作、次の「トラヴィアータ」の後は、「ワルキューレ」、「死の都」と続くらしい。生誕200年の超大物が二人、いずみホールでは6月に堀内さんが「シモン・ボッカネグラ」を歌うし、来年はあちこち賑やかになりそうだ。

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