いずみホールの「シモン・ボッカネグラ」 ~ 待望のロール
2013/6/22

なんばパークスにMETライブビューイングを観に行ったとき、入口付近に「シモン・ボッカネグラ」のチラシが置かれていた。これはびっくり、確かにPRには効果的だ。「仮面舞踏会」を観に来る客なら「シモン・ボッカネグラ」だって。そもそも、こんな公演があることを知らない人もいるだろうし、ライブビューイングでに嵌って本当のライブを観たくなる人も少なくなかろう。ルネ・フレミングもデボラ・ヴォイトも、「どうぞ、METじゃなくても、あなたの地元のカンパニーの生の舞台に接してくださいね」と最後に決り文句だもの。

この発案者はいずみホールのK君、目の付けどころがいい。今回の演目の話を聞いたとき、「堀内康雄さんのシモンは間違いないとして、バスに人を得るかどうかが成否を分けるという感じだなあ。もう他のキャストは決まっているの。まあ、大阪でやるから地元への配慮も必要だけど、せっかくのタイトルロールなんだから、妙な妥協はしてほしくないなあ」と、不安混じりの期待。オマケに勝手な人選を提案したりして。「ともあれ、どんなメンバーになっても行くことは間違いないけど」とも。

シモン・ボッカネグラ:堀内康雄
 アメーリア・グリマルディ:尾崎比佐子
 ヤコポ・フィエスコ:花月真
 ガブリエーレ・アドルノ:松本薫平
 パオロ・アルビアーニ:青山貴
 ピエトロ:萩原寛明
 ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
 指揮:河原忠之
 演出:粟國淳

堀内さんのシモン、佐々木典子さんとのデュエットがとても良かったことが記憶にあるが、全曲を歌うのは彼としても初めてではないだろうか。もともと、上演頻度の高い作品ではないし。その分、満を持してという意気込みが伝わってくる。プロローグでの若い頃のシモン、本編の四半世紀前という設定だから、意識的に力を入れていたのかも知れない。かなり前のめりの歌唱のようにも聞こえた。そして、短い休憩のあと、第1幕では万全、第1場の父娘の再会の長大なデュエットは感動的、思わず引き込まれてしまう。第2場での総督としての貫禄、剛毅さの表現も第1場と見事な対比だ。プロローグでの肩の力が抜けて、この第1幕は圧巻。

いずみホールの舞台上のオーケストラの後に設けられた小さなステージ、800人の客席空間とも相俟ってとても凝縮感がある。「オテロ」の頃の改訂だけに厚みのあるオーケストラの響きも加わってホールがヴェルディの音楽で隈無く満たされるという感じ。こういうところ、大きなオペラハウスにはないメリットとも言える。

当初の懸念どおり、ヤコポ、ピエトロ役の二人のバスの非力さが残念だが、厚みと深みを具備した真性バスは日本にほとんどいないのだから仕方ないとも言える。新国立劇場の「夜叉ヶ池」と時期が重ならなかったらなあとは繰り言になる。

この低声部の窮地を救ったのがパオロの青山貴さん。これまでにも他の役で聴いている人だと思うが、我が耳を疑うほどの出来映えだ。声の力、無理のない発声、強さと滑らかさを備えた歌唱、プロローグからしてこの人の登場で締まる。シモン堀内と張り合う存在感がある。もっとも、この人は見かけは悪役というイメージはない。

アリアだけはしっかり練習して格好がついても、レチタティーヴォやアンサンブルはさっぱりというソプラノは少なくないが、アメーリアの尾崎比佐子さんは全くそれとは違う。第1幕冒頭のアリアはもっと上手い人がいるはずだが、以降の男声陣との絡みのところにこの人の本領がありそうだ。当たり前のことだけど、シチュエーションやテキストをしっかり弁えた歌唱力、表現力には一日の長がある。

ガブリエーレの松本薫平さんは、ありがちな高音でヒヤヒヤするテノールではないので安心して聴ける人だ。安定感に加えて聴く度に表現力も進化している。今や関西の第一人者と言ってもいいだろう。

やや問題なのはコーラス、2階バルコニーの舞台寄り両翼に配されていて、1階席の舞台近くだと挟み撃ちになる。その位置のせいか、ピチッと揃っていない印象だし、自信なさげな箇所も耳につく。一緒に観た口の悪い友人は、カレッジ・オペラハウスのコーラスは豊中の自前の公演だと練習量が半端じゃないから抜群なのに、こういうお座敷公演となると格段に落ちると言う。どれぐらいの練習量の差があるか知る由もないが、そうなのかもと思わせるフシもある。

指揮台に立った(いや、座った)河原忠之さんはプロデュースも兼ねている。オペラ歌手のピアノ伴奏はほとんどこの人が弾いているのではないかというぐらいの人だが、指揮する姿は初めて見た。私の危惧はどこへやら、ピアノ伴奏の蓄積が間違いなく活きている。声の生理を知った指揮者、これは本当に聴く側にとっても有り難い。そしてヴェルディ晩年のスコアである、間延びすることはない。思い切りオーケストラを鳴らす場面はあるが、声を掻き消すような無茶はしない。歌い手から意識が離れることがないところに好感が持てる。

ホール・オペラということで衣装、演出付きだ。前面のオーケストラに隠れて舞台がよく見えないというハンディキャップがあるのには同情するにしても、余計な演出との印象が否めない。黒子(実際は灰色、パンストを被ったコンビニ強盗みたい)が、チェスの駒に見立てた大道具(学芸会並みの安っぽさ)を、場面の初めに動かしたり反転させたりする。その他にパントマイムで場面の説明的な動きもするのだが、余計なことのように思えて仕方ない。例えば第1幕の冒頭、弦楽器が夜明けの海岸のイメージを弱音で奏でるとき、後ろでコトコト動き回るのは邪魔でしかない。せめて足袋でも履かせるべきだろう。

今回の企画、ヴェルディ・イヤーということでの発案だったと思うが、「シモン・ボッカネグラ」を持ってきたところがひと味違う、いずみホールらしいところ。堀内康雄さんにこの役を歌わせるというところからスタートしたのに間違いなかろう。判る人には判るということか。だから、地味な演目でも人は来る。東京で見かける顔も多い。開演前に尋ねたら残席は20余りとのことだった。当日売りも捌けたようで、満席。「キャストがちょっと心配だったけど、結構売れたみたいだね」とK君に言うと、にっこり笑って、どや顔。

いずみホールのオペラは、この先、12月14日に「イドメネオ」がある。今回は歌い手を集めるのに苦労の跡が窺えたが、モーツァルトは奇跡的にベストメンバーが揃ったようだ。歌手にしてみれば、餅代稼ぎの第9よりも、という気持ちがあるのかも…

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