堺シティオペラ「ロメオとジュリエット」 ~ おっと、重量級
2013/9/8

大阪都構想の成否を握るとか言われている市長選挙が迫り、カミサンの実家の近くでも幟を立てた一団が街頭活動、どっちの陣営か定かではないが見慣れぬ光景にギョッとする。そのカミサンを車もろとも実家に置き、堺東まで南海高野線に乗る。来る度に老朽化が進む堺市民会館、そろそろ建て替えの時期だろう。

ここがホームグラウンドの堺シティオペラ、施設のみすぼらしさとは裏腹に意気軒昂、今年も意欲的な演目とキャスト、これで1000円というのは有り難いこと。さらに余談があり、電話で予約して送ってもらったチケットの日付が7日のものだと気づいたのが6日、慌てて事務局に電話を入れたら、あっさり8日のものとの交換に応じていただいた。ダブルキャスト、両日観ても良かったかも知れない。

ロメオ:笛田博昭
 ジュリエット:並河寿美
 キャピュレット卿:フレデリック・カトン
 ローランス神父:片桐直樹
 ヴェローナ公爵:井原秀人
 メルキューシオ:西尾岳史
 ステファノ:水野智絵
 グレゴーリオ:東平聞
 ティバルト:小林峻
 ベンヴォーリオ:橋本恵史
 パリス伯爵:西村明浩
 ジャン修道士:周江平
 ジェルトリュード:北野知子
 マニュエラ:加藤真由子
 ペピタ:中村茜
 アンジェロ:池田裕紀子
 合唱:堺シティオペラ記念合唱団
 バレエ:法村友井バレエ団
 管弦楽:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
 指揮:ヤニック・パジェ
 合唱指揮:岩城拓也
 演出:粟國淳

「ロメオとジュリエット」、たぶん舞台を観るのは三度目、神戸のオリエンタル劇場で観たのは前世紀のこと、近いところだと2006年のウィーン国立歌劇場だが、サバッティーニ、マッシス、ド・ビリーという顔ぶれの割には印象が薄い。それに比べると、今回の舞台はいろいろと感じることが多かった。堺シティオペラは予想とちょっと違った演奏だったからかも知れない。

並河寿美さんの冒頭のアリア「私は夢に生きたい」、この歌はやはり軽めの声の人のほうが合っているかなあという感じ。アムネリスも歌うほど音域の広い人だけど、コロラトゥーラがレパートリーに入れるナンバーは彼女としては限界に近いものだと思う。最近は向かうところ可ならざるは無しという様相だけど、この歌の軽やかな躍動感とはやや異質、決して悪いものではないにしても。逆に彼女には終幕の独り舞台は嵌る。これをコロラトゥーラの人が歌ったら緊迫感が足りないということになろう。意外、ジュリエット役は難しいのかも。このあたり、幕毎の振幅が著しいヴィオレッタと同じかも。

笛田博昭さんの歌は異質だ。初めから終わりまで、彼のスタイルにはずっと違和感がつきまとった。日本人テノールには少ないロブスト気味の音色と声の力は認めるものの、べたあっとした歌い回しと過剰なアクート、声はガンガン出る一方で元来この音楽が持っているはずの繊細さが殺がれてしまうところも。最後の二重唱なんてなんだかトリスタンとイゾルデみたいに聞こえる。これはフランスオペラなんだろうかと。

オーケストラもブイブイ鳴らす感じ、お座敷公演では手抜きも多いザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団はフルパワーの演奏だ。海外から招聘したヤニック・パジェという若い指揮者がぐいぐいドライブしているのか。気の抜けた演奏よりも格段にいいのだけど、力任せの気味がなくもない。でもピットが活性化するのは悪くはない。

ジュリエットの父親キャピュレット卿にフレデリック・カトン、ローランス神父に片桐直樹さんを配したことで舞台が締まった。でも、ローランス神父という人物、オペラの都合ということもあるけど、「合点、承知之助」とばかりに二人を結びつけたり、窮地打開策をサッと提示するなど唖然とする手際の良さで笑ってしまいそう。ヴェルディだってもう少し時間をかけただろうし、ワーグナーだったら30分はかかるだろう。と、他の脇役陣は出来不出来交々、目立ったナンバーを与えられているステファノの水野智絵さんが佳唱。

今回の粟國淳さんの演出は良い。シンプルな装置で場の雰囲気が出ていたし、それがスライドすることで上手く場面転換をしていた。全く歌の邪魔にならず、センスも感じる。低予算でやりくりしているはずだが、その気になればやれば出来るということだろう。金をかけるだけが能ではないことが判る。

いわゆる市民オペラでこの水準を実現するのはスタッフの苦労が偲ばれる。アマチュアはコーラスだけにしても、時間をかけて作りあげる過程を想像すると頭が下がる。先日の名古屋、この日の堺、草の根は深く広がっている。

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