アルミンク/PACオーケストラ定期 ~ 関西初お目見えか
2013/10/13

ハイキングのあと、有馬温泉の外湯、銀の湯で汗を流し、神戸電鉄で新開地からぐるっとテッちゃんよろしく西宮北口へ。この日の最後がコンサートというのだからまさに道楽三昧。兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期公演最終日を聴く。

ベルク:ヴァイオリン協奏曲
 マーラー:交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」
  ヴァイオリン:ルノー・カプソン
  管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
  指揮:クリスティアン・アルミンク

世紀末ウィーン特集という感じ、なかなか面白そうな組み合わせだ。ベルクは世代としてはマーラーの後になるが、プログラムの構成はどうして20分ほどのコンチェルトが先になる。

もはや現代音楽ではなく古典に近くなったベルクだけど、依然こういう曲を好んで聴く人は少ないだろう。いつもニュースで大きく取り上げられる芥川賞の作品や作家が、一部の文学マニアは別として広く受け容れられているわけではないのと似ている。死に体の純文学と同じ、行き場のない袋小路ということなのか。

体調も良く、気分も爽快、だからベルクのサウンドも心地よく体に染み込む。カプソンというフランス人ヴァイオリニストの外連味のない演奏も好感が持てる。思ったよりも遙かに大きな編成のオーケストラとのコンビネーションも悪くない。あるのかも知れないが、構成感を把握できないこういう曲はつい環境音楽という聴き方になってしまう。映画のバックに付けてこそ引き立つという現代音楽の宿命なのか。作曲家は心血を注いいても、私を含めふつうの人からは遠いところにありそう。

ベルクに輪をかけて大編成となるマーラー、こららは直木賞の範疇と言ってもいいかな。それだけに、あざとさが横溢ということもありがちで、もともと若いオーケストラなのでパワフルな音を出す。ときに端々にがさつなところが聞こえるのはご愛敬かも。それにしても終曲のしつこさは半端じゃない。延々と続く大音量の単調さが耳につくのがその印象を強めるのだろう。この曲を以前に聴いたときは、あまりそんな風には感じなかったのに。他の三楽章との違いが顕著、それを強調する演奏と言うよりも、そうなってしまったという感じを受ける。

アルミンクは新日本フィルで何度か聴いているが、指揮者の個性が前面に出る人ではない。なんだか無難にこなしてしまうという捉えどころの無さを私は感じる。それも個性なのか、オーケストラを預かって色々なプログラムに取り組む以上、そういう部分も必要なことだ。
 珍しく1階の中央で聴いていると、指揮台に立つこの人ほど燕尾服が似合う人もいないのではと思える。長身痩躯、癖なのか格好つけなのか、しばしばかき上げる明るい髪の色、むかしローエングリンを指揮するのを観たとき、そのときの歌い手よりも、よほどタイトルロールに似つかわしいと思ったものだ。ある程度の段階を超えると、容姿端麗がときとしてマイナスになるということろがあるのは、指揮者も因果な商売だなあ。

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