二期会「リア」 ~ こっちもオーケストラ!
2013/11/9

もともと予定のなかった東京行き、せっかく来たならやはりこれも観て帰ろう。ライマンの「リア」日本初演。フィッシャー=ディースカウのために書かれた作品で、レコーディングもあることは知っているが聴いたことはない。もう40年ぐらい前のものだろう。二期会が原語上演で取り上げるというのも時代の流れを感じさせる。往時、そんな日が来るとは考えられないことだった。

ライマン:「リア」
  リア:小鉄和広
  ゴネリル:板波利加
  リーガン:林正子
  コーディリア:日比野幸
  フランス王:近藤圭
  オルバニー公:与那城敬
  コーンウォール公:高田正人
  ケント伯:小林大作
  グロスター伯:大久保光哉
  エドマンド:大澤一彰
  エドガー:藤木大地
  道化:三枝宏次
  合唱:二期会合唱団
  管弦楽:読売日本交響楽団
  指揮:下野竜也
  演出:栗山民也
  美術:松井るみ
  衣裳:前田文子
  照明:服部基
  会場:日生劇場

大きなキャパの劇場ではないにせよ、客席がほぼ埋まっているというのも信じがたい。三日連続公演の中日、いわゆるBキャスト。オーケストラピットは大きくないので、溢れた大編成のメンバーは舞台両袖の雛壇に陣取る。中央に設えられた舞台は奥に向かって登り坂となり、背面に可動式の壁で舞台奥と区切られている。指揮者は舞台下手から登場しピットに降りてくるという寸法、これはコンセルトヘボウのような感じ。

シェークスピアの四大悲劇のことは知っているが、まともに原作を読んだことはない。「リア王」のアウトラインは判っていても、あれっ三人姉妹だったのか、四人だとばかり思っていたなんて恥ずかしい認識。そりゃあ谷崎だろうとツッコミが入りそうだが、まあ文豪に免じて許してもらうことにする。

ただいま現在、下野竜也/読売日本交響楽団のコンビの現代作品は聴きものだというのが東京の友人の弁だが、確かにこの週末の演奏を聴くかぎり、NHK交響楽団とともに在京オーケストラの両雄という感じだ。関西のオーケストラの水準とは一線を画している。激しい総奏、不協和音の洪水、それでいてしっかり制御されている。見かけ騒々しい響きに包まれても居眠りできるというのは、皮肉ではなくそういうことだ。休憩は一回、前半が1時間半ほどもあってさすがに疲れる。ところが後半は音楽もドラマも凝縮度がぐんと高まり時間を感じさせない。幕切れは舞台上に主な登場人物たちの死体が転がるという陰惨な結末、まあこれはヴェルディの「運命の力」のような感じ。

朗唱のようなところも多いし、とにかく台詞の多いリア王、よくまあ覚えられたと感心する。ヴェルディあたりはいただけない歌唱の印象しかない小鉄和広さんだが、これは大変な熱演、他のキャストも引けをとらず充実した歌唱とみるが、如何せん初めて聴く作品で論評のしようもないのが正直なところ。そしてただ初演しましたという域にとどまらず、役柄に踏み込むところまで練習を重ねたことが窺える。今や二期会にはそれだけの知的能力を備えた歌い手の数が揃っているということか。

「リア王」は今年生誕200年のヴェルディが意欲を燃やしていた作品だ。終に日の目を見ることはなかったが、彼が創ったらどんなオペラになっていただろう。「マクベス」や「オテロ」とはまた違う人間性の深淵を覗くような音楽が世に残ったかも知れない。もしもそれが存在したならもはや古典、読み替え演出なんて当たり前になっていたかも。早い話、「認知症になった爺さんの遺産を巡る骨肉の争い、親族、医師、弁護士、介護事業者などが入り乱れて…」というぐらいの舞台が現出していたかも知れないなあなんて想像をたくましくする。

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