エルトマン&メストレ ~ 昼下がりのデュオリサイタル
2014/4/24

公演のチラシ

「ヨーロッパに彗星のごとく現れた美貌の歌姫、エルトマン。ウィーン・フィルの元奏者で“ハープの貴公子”と呼ばれるメストレ」というのが、このリサイタルのキャッチコピーだ。以前、NHK-BSで放映された「ルル」でのエルトマン、ダムラウと共演していたメストレ、これは興味津々、半日の休暇を取って阪急電車で大宮から西宮北口へ。

見た目のことから書くと、エルトマンのドレスがシックなことに驚く、オフホワイトの生地にブラウン系の色で鎖のモチーフが斜めにあしらわれている。美人は得だ。舞台衣装としては少し地味目なのに、かえってその人を目立たせる効果があるのだだから。メストレの楽器は自前のものだろうか、一切の装飾的なものを排した直線的な躯体のハープなんて見たことがない。まさか自身の四角い顔に合わせたわけではないとは思うけど。

シューマン:献呈、蓮の花
 モーツァルト:すみれ、夕べの想い、静けさがほほえみながら、
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番ハ長調
 メンデルスゾーン:初すみれ、ズライカ、月、歌の翼に、春の歌
 R.シュトラウス:ときめく心、サフラン、
       ああ恋人よ,僕はいまお別れしなければならない、
       子守歌、星、明日、セレナーデ
 フォーレ:即興曲変ニ長調op.86
 ベッリーニ:歌劇「カプレーティとモンテッキ」より「ああ幾度か」
 プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のいとしいお父様」
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 R.シュトラウス:ひどい天気
 シューベルト:万霊節の連祷
   ソプラノ:モイツァ・エルトマン
   ハープ:グザヴィエ・ドゥ・メストレ

演奏の第一印象、ハープの音が大きい。大ホールでのリサイタルなのに2階正面席にビンビンと音が飛んでくる。最初のシューマンなど、声がハープに埋没気味ですらある。そのうちに気にならなくなったのは自分の耳がアジャストしたのか、演奏者がバランスを調整したのか。

エルトマンの美質は、表現の繊細さ、ムラのない発声、ずらりと並べた独墺系の歌曲に見事にフィットする。イメージとしてはコジェナーのリサイタルを聴いたときの印象に重なる。それが逆の目に出るのがリサイタルの最後に置かれたイタリアもの二つ、きれいに仕上げたアリアなのだけど、これは違う。
 イタリア語の歌詞は後一押しすれば自然に歌になる、歌い手はそのための媒介者という極論も成り立つと思うのだけど、エルトマンの歌唱は旋律に丁寧に歌詞を充てていったというイメージかな。出来上がりの歌は大変にきれいなのだけど、つくりかたの順番が違うと感じる。ドイツ語の歌曲の場合と違って、言葉のキレも甘い。ということで、どんな歌が聴けるのだろうと楽しみにしていた割には、オペラの分野での大きな可能性を感じることはなかった。アンコールの選曲をみても、こちらの方面の歌手なのだろう。
 確かにルルは填り役だと思う。そしてこのあとの京都や東京の公演で取り上げるスザンナも合っているだろう。パミーナもいいかも知れない。だが、それから先はとなると…

メストレのハープは最初に音の大きさにびっくりしたが、実に繊細なピアニシモもあるので、ダイナミックレンジの広さということになる。モーツァルトのソナタの第2楽章の中間部からの推移の美しさなど特筆もの。ピアノではなくハープのために書かれた曲なのではと思うほど。ピアノで聴くよりもいいと思える箇所が随所にある。歌手のリサイタルだと喉休めのためのピースとして伴奏者の独奏を挟むことが間々あるが、独奏も負けず劣らず聴きものというリサイタルはお得感のあるものだ。

ハープだけのリサイタルだと、そんなに集客できるとは思えないから、ソプラノとのデュオリサイタルを考えついたマネジメントは知恵者だ。でも、ギャラの取り分はどうなっているんだろう、6:4ぐらいかなあ、いや7:3か、こういうところは秘密のヴェールに包まれている。

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