大植英次/大阪フィル定期のマーラー第6交響曲 ~ 牛歩の魅力
2014/9/26

久しぶりの大阪フィル定期、シンフォニーホールからフェスティバルホールに会場が移ってからは初めてになる。同時に大幅値上げとなったので足が遠のいたということもあるし、京都から奈良への帰りに大阪を迂回するには余程のプログラムでないと。

9月恒例の大阪クラシック、京都にいると風の便りすらない。40kmしか隔たっていないのに、相互無視というか別文化というか、その距離は遠い。何しろエスカレーターに立つのさえ逆側なのだから(東京と大阪が違うどころではない)。

公演のチラシ

マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
 管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
 指揮:大植英次
 フェスティバルホール

野球で言うなら1回表裏終了時で既に1時間経過といったところか、もの凄くテンポが遅く感じる。音楽監督時代の交響曲第5番での異様なスロー演奏を思い出すほど。結局9:35前に終了したので5分遅れの開始としても90分ほど、プログラムには85分と表示されていたし、録音などでも90分近いものもあるから異常ということでもない。ただ、体感としては遅い、というか、細部をとことん克明に描き、精一杯音を保持しようとする意欲の現れかとも思う。

一瞬スピードアップしたかと思うと、すぐに緩んで最低速度まで沈み込むというような感じ、第1楽章も遅さということでは相当なものだが、スケルツォ楽章の中間部は音楽がただの音になってしまう寸前まで行く。この交響曲とはこんな音楽だったか。第6交響曲がマーラーの問題作であることを再認識する。この曲から次の世代の作曲家が大きな影響を受けたというのも宜なるかな。終楽章の二度のハンマーの打撃に至っては西欧クラシック音楽に最後の止めを刺す音だ。この曲の後にどんなシンフォニーを作ればいいというのだろうか。実際、ショスタコーヴィチあたりが苦心惨憺の末にいくつかの見るべき作品は残しているが、それを考慮したって交響曲はこれで終わっている。この日の大植さんと大阪フィルの演奏を聴いていると、肌触りのいい音響で誤魔化すことなど一切無しに、問題作をそのものとして提示していたと思う。一曲プログラムで当然に休憩無し、全く退屈しないが、とても疲れる演奏だった。

フェスティバルホールの1階最後部で聴いたが、シンフォニーホールの華やかな音響と比べるとずいぶん落ち着きのある音がする。ピッチを少し下げているのか、たんにホールトーンなのか。昔の音を思い出した。建替後も伝統の音が健在なのが嬉しい。

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