大阪フィル京都特別演奏会のサイ ~ 奇人健在
2014/10/18

台風直前で人出も少なかった三連休のあと、秋の週末ともなると京都は観光客の姿が目につく。普段なら5000円も出せば泊まれるビジネスホテルが、平気で20000円以上のえげつない値付けをしている。京都にとっちゃ大阪だって余所者、京都市交響楽団の定期演奏会はずっと完売らしいのに、大阪フィルだとこのプログラムにして空席がある。

公演のチラシ

モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467
 モーツァルト:ピアノソナタ第11番イ長調K.331
          ~第3楽章「トルコ行進曲」
 サイ:"Ses" Op.40
 チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調Op.64
 モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
  独奏:ファジル・サイ(ピアノ)
  管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
  指揮:金聖響
  京都コンサートホール

「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」と韻を踏んだキャッチコピーで売り出したピアニスト、確かにそのとおりで、大阪フィル定期演奏会でベートーヴェンのコンチェルトを初めて聴いたときには、まさにぶっ飛んでしまうような体験だった。「奇人・変人・トルコ人」でもいいような。コンサートの休憩前に置かれることの多いコンチェルトで大抵居眠りが出る自分なのだが、この人の場合は全く別。どんな音が流れ出すのか、固唾をのんで舞台に釘付けとなる。

いつものように、左手が空いたときには宙にさまよい指揮者が表情付けをするかのよう、何度もオーケストラに顔を向けるのは弾き振りかと思うほど。今回のコンチェルトの第3楽章の管楽器との掛け合いではプレイヤーを凝視、にっこりと笑いかけたりする。指揮者が二人いるみたいで、あのときの大植英次さんはやりにくそうにしていた記憶があるが、今回の金聖響さんはずいぶん相性がよさそう。指揮台を置かずピアノとオーケストラとの間、同じ平面に立っているのが正解。とにかく舞台中央にサイが陣取っていると、オーケストラはルーチンワークの伴奏などできっこない。

コンチェルトでのサイの入りが絶妙だ。そよ風のように自然に軽やかに、モーツァルトを愛おしむような。そして息をのむようなピアニシモの繊細さ、再現であり創造であるライブの演奏を聴く楽しさ。こういう感覚を呼び覚ますピアニストは多くはない。

休憩前のアンコールは2曲、「トルコ行進曲」はサイのジャズ版ではなくモーツァルトのオリジナルをやったはずだが、演奏=創造という人だから普通の演奏じゃない熱さが伝わる。あっ、そうだ。コンチェルトの二つのカデンツァはサイ版だったはず。そして自作ナンバー、どこかアジアンテイストのある小品。

ピアノ協奏曲がメインといってもいいコンサート、後半はチャイコフスキーのお馴染みの曲、直前の東京交響楽団のようにサイ作曲の「イスタンブール・シンフォニー」を私は聴いてみたかった。なので、前半だけで帰ってもよかったのだけど、アンコールで演奏された「フィガロの結婚」序曲が生気に満ちたとてもいい演奏だった。プログラムが終了しリラックスしたオーケストラメンバーが伸び伸びとやっていることで、音楽が勢いを増しどんどん前に向かう推進力となる。オペラの前に演奏される場合だと、大概の場合、オーケストラが温もっていない。この日のプログラムの冒頭、「魔笛」序曲がそんな感じ。いきなりトップギアに入れて加速という曲じゃないけど、意外に第1曲目の選定というのは難しいものだ。なお、チャイコフスキーの終楽章ではコーダの前の休止がなかった。そういう版もあるのだろうか。これだと、終わったと勘違いして拍手が入ってしまう事故はなくなるが…

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