関西二期会「ドン・カルロ」 ~ こちらも50周年
2014/10/25

東京まで片道5400円、キャンペーン期間中に2往復もした東海道新幹線は開業50周年、踵を接して東京オリンピック50周年、そして関西二期会も創立50周年だそうだ。その節目に取り上げたのがヴェルディの大作「ドン・カルロ」、半世紀前には邦人キャストでの上演なんて夢物語だった演目だ。ましてや、関西では。

私とこのオペラに出逢いは1967年のNHK第5次イタリア歌劇団公演、たぶん日本初演だったはず。これも50年近く前のこと。FMでも聴いたし、テレビでも観た。感受性豊かな(?)高校生にとって、息をもつかせぬ長大な作品の魅力は圧倒的だった。深々とした音楽を伴い幕を追うごとに激しく展開するドラマが、いったいどんなふうに終わるんだろう、終わらせることが出来るんだろうと心配になったほど。未だにそのときの感情の記憶がある。多数の登場人物の個性が際だち、一人ひとりを掘り下げ濃密に描かれている。それぞれの苦悩が渦巻き、昏い情熱がどんどん高まっていく。このオペラはまごうことなきヴェルディの最高傑作。

公演のチラシ

フィリッポ2世:片桐直樹
 ドン・カルロ:小餅谷哲男
 ロドリーゴ:大谷圭介
 宗教裁判長:フルヴィオ・ヴァレンティ
 エリザベッタ:泉貴子
 エーボリ公女:福原寿美枝
 テバルド:西田真由子
 修道僧:西田昭広
 天よりの声:日紫喜惠美
 レルマ伯爵:角地正直
 合唱:関西二期会合唱団
 管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
 指揮:ダニエーレ・アジマン
 演出・装置・衣裳:カルロ・アントニオ・デ・ルチア

関西二期会としては初挑戦となる作品だと思う。いつものアルカイックホールではなく兵庫県立芸術文化センターに会場を移したことでも記念公演への意欲は感じるし、舞台上の出演者の意気込みも充分に伝わってくる。歌い手それぞれについて、程度の差こそあれ瑕疵を指摘することは簡単だ。日本国中から集めるのではなく関西の人たちという制約の下だから止むを得ない。それでも全体として期待水準はクリアし、私としても一緒に行ったカミサンも充分に楽しめた。具体的に書いていくと…

フィリッポ2世を歌った片桐直樹さんは文句なしの好演だ。バスバリトンの声域だから、生粋のバスには難関である第3幕冒頭「ひとり寂しく眠ろう」のAmor per me non haの高音も全く問題なし。スペイン国王としての重さ、深みを感じさせる演技と歌唱には最大限の評価をしたい。ピットに入った関西フィルのワーグナー・シリーズでは飯守泰次郎さんにヴォータン役を任されている人だから当然といえば当然。

ドン・カルロの小餅谷哲男さんは、第1幕では先行きが心配だったが、徐々にペースを掴んで乗ってきた感じ。ただこの人の声はバリトンに近い声質なので、随所にあるロドリーゴとのデュエットでのコントラストが生まれないのが残念だ。ところで、第2幕第2場の異端者火刑のシーン、群衆が「国王の前で、剣を抜いた!」と叫んでいるのに、カルロの剣は鞘に収まったまま、これじゃロドリーゴが割って入ってどうやって取り上げるんだ。オペラ上演ではありがちな事故、遅ればせながらさりげなく剣を抜いたので喜劇にはならなかったが、観ているこちらは音楽よりもそっちが気になってハラハラ。これもオペラを観る楽しみのひとつ、そんな話ばかり集めた本があるぐらいだもの。

ロドリーゴの大谷圭介さんはミスキャスト気味だ。この役は荷が重い。ダブルキャストでは新国立劇場への登場も多くなっている晴雅彦さんが起用されているが、ロドリーゴを二人揃えるには関西二期会も人材が足りないようだ。大谷さんは音程が不安定になるところも耳につき、この重要な役を任されるには早すぎると思う。まだ若い人だから、今後の精進に待つというところか。

宗教裁判長は海外から呼んだフルヴィオ・ヴァレンティというイタリアの地方劇場で歌っている人。ちょっと癖のある声で、この怪人の不気味さという点ではいい味を出しているし、フィリッポの片桐さんのノーブルな声との対比感もある。高音に難があるのは致し方ないか。盲いた宗教者という役柄だけど、天王寺公園あたりで見かけるホームレスの人のようなメイクはどんなものなんだろう。

エリザベッタは泉貴子さん。びわ湖ホールの「スティッフェーリオ」日本初演のときにリーナ役のカバーに入っていたのを覚えている。その公演に先立つ若杉弘さんのレクチュアのイベントで聴いたのが最初だった。当時は東京藝大在学中だったからまだ若い。声を持った人という印象だったし、この日のエリザベッタでもその印象は変わらない。彼女の課題はドラマに没入した歌と演技をものに出来るかということだろう。第1幕第2場でフィリッポの逆鱗に触れフランスに追放される女官に「泣かないで、愛しい友よ」と歌うロマンスで声を張りあげてしまうのは如何なものか。フィオレンツァ・チェドリンスが東京で歌ったときの絶美のピアニシモを知っているだけに。それと、終幕の大アリア「世の空しさを知る神」では中間部が腰砕けの感がある。このアリアには長い前奏があり、エリザベッタの登場、修道院の床に額ずき、やがて立ち上がり歌い出すという流れだが、大根と言っては失礼だが、いかにも演出家の指示通りの動作を順番にやりましたという様子がありあり。これじゃ舞台人としては失格、歌は頑張っても演技に魂が入っていない。これからの人だし、まだまだ発展途上だと解したい。

エーボリ公女の福原寿美枝さんは上出来だ。ここまでパワーのある歌が聴けるとは正直期待していなかった。第3幕第1場の「酷い運命よ」では思いの外の迫力で喝采を浴びた。反面、第1幕第2場の「ヴェールの歌」のコロラトゥーラは鬼門、そりゃ、この両方とも完璧に歌える人はあまりいない。

修道僧を歌ったのは西田昭広さんだが、私はてっきりこの人がロドリーゴ役だと思っていた。プログラムのキャストを見て意外な思いだった。確かに、幕開きの歌の出来不出来がこのオペラのその後の流れを左右するところがあるので、そちらに低いところも出る西田さんを充て、それで欠けるバリトン役に若手を抜擢という関西二期会のお家の事情ではないかと勝手に想像している。

天よりの声は日紫喜惠美さん。関西二期会の花形ソプラノだが、舞台裏からSR付きで流れてくる声を聴いていると、ベテランの域に近づき高音の傷みがちょっと気になる。そしてカーテンコールに登場した彼女の派手なピンクの衣装にはびっくり。「ドン・カルロ」でこんなの見たことない。くすんだ色調の舞台衣装の登場人物が並ぶなかにリサイタルのようなドレスとは。目立ってなんぼの世界かも知れないし空気を読めとは言わないけど、所詮このオペラでは端役なのに。まあ、このあたり、天衣無縫というか、彼女なりのサービス精神かも。

指揮はダニエーレ・アジマンという人、宗教裁判長と同様、イタリアの地方都市での活躍が中心で、ブザンソンのコンクールで入選ということだから劇場叩き上げという人でもなさそう。キレを感じるところは少ないが、そつなく無難な音楽づくりという感じか。関西フィルの演奏も管楽器に弱い部分はあるけど、新国立劇場でときに聞かされる気の抜けた演奏ではなく気合いは入っている。

演出・装置・衣裳を担ったのはカルロ・アントニオ・デ・ルチアという人、歌手から演出に転じ、こちらもイタリアの地方劇場の活動が中心。装置は簡素で抽象的、そのぶん衣装にお金をかけて台本に沿って綺麗に仕立てられている。そして、演出での特筆事項は、第3幕第2場がロドリーゴの死で幕が下りるということ。「えっ、カットしちゃうの」と、これにはびっくり。何度も「ドン・カルロ」の舞台上演に接しているが、このカットを施したケースに遭遇したことは、ない。

ロドリーゴの死に続く暴動の場面をカットすると、直前の第1場でのエーボリの独白とは全く脈絡がなくなってしまう。カットした結果この場はロドリーゴの独り舞台となり、その死で終わることで音楽的にはすっきりするとも言えるし、難しいところだ。例えば、「シモン・ボッカネグラ」で、シモンとアメーリアの感動の父娘再会で幕を下ろすというのに近いと思う。あちらも、デュエットに続いてドラマ進行の都合上の短い場面がある。それをカットするのが是か非かということ。

今年は「ドン・カルロ」の当たり年のようだ。私は聴き逃したが、2月にはイタリア語5幕版を東京二期会がやったし、先日はフランス語版の演奏会形式での上演も東京であった。そして来月には新国立劇場の舞台にもかかる。これは何とか日程を調節して上京するつもり。それが今年の聴き納めかな。いやいや、珍しく年末第九のチケットも買っているぞ。

こんな話になると2014年も残りわずかという感じ。オペラがはねた頃には、同じ西宮ではトラキチ大集合のはず。おかげで、いつも混んでいる行きつけの店が簡単に予約できた。常連客もテレビで日本シリーズという人が多いのだろう。そして、ホールから西宮北口の駅に続くペデストリアンデッキには見慣れた仮装ネコ、今日はハロウィンの出で立ちだった。人だかりと気取ったネコの姿にカミサンはびっくりだが、「ああ、あれ、いつもこの辺で見せびらかしているよ」と私は素っ気ないもの。うちの老アビシニアンにも何か着せてやってもいいけどねえ。

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