新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演「夕鶴」 ~ はまり役
2014/11/5

国産オペラでは上演回数が突出している作品だ。各地でのご当地もの創作オペラの再演が稀なことを思うと、作曲後60年を経て繰り返し舞台にかかるのは異例のこと。私、むかし観たことがあったか、テレビで視聴しただけだったか思い出せない。新国立劇場のカバーキャストで上演される高校生のためのオペラ鑑賞教室、石橋栄実さんが歌い、大阪フィルがピットに入る、これは聴きものと、休日の振替の休み充てて尼崎に出かける。

公演のちらし  團伊玖磨:「夕鶴」
 つう:石橋栄実
 与ひょう:望月哲也
 運ず:星野淳
 惣ど:峰茂樹
 児童合唱:百合学院小学校
 管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
 指揮:石坂宏
 演出:栗山民也
 あましんアルカイックホール

たしか石橋栄実さんは大阪府立夕陽丘高等学校の卒業、最近でも同校の音楽科で教えていたはず。いまどきの高校生がどんな感じかはよくご存じのことだろう。エネルギーに溢れる彼らをじっと大人しくさせるのは大変な一方で、感受性が豊かな若い心に訴える芸術の力も経験しておられるはず。そして、彼らを黙らせるに足る歌と演技だ。まさに日本の女性の原型といってもいい所作の自然でたおやかなこと。清楚、可憐、美人は得だ。

これはプリマドンナオペラ、主人公つうがほとんど出ずっぱり、主要な歌も独り占めに近い。それだから主役がダメだと目もあてられなくなる。ヒロインに人を得るかどうかで成否が分かれるはっきりしたオペラだ。男声三人のウエイトは小さい。悪役二人に至っては児童合唱とどっこいどっこいぐらいでしかない。プロットは単純で誰でも知っているストーリー、一幕二部構成で正味2時間足らず、装置も大したものは必要じゃないし、オーケストラも標準形とくれば力のあるソプラノさえ据えれば公演が成り立つ。それも圧倒的な上演回数を記録している要因だろう。

逆に、登場人物の少なさ、ストーリーの単純さはオペラとしての音楽面での足枷になる。第1部が1時間以上、第2部は30分程度というアンバランスな配分も、戯曲そのままを台本とした故の制約なのか。

20世紀半ばのオペラとはいえ、音楽はプッチーニの時代と大差ない。このイタリアオペラ最後の作曲家と通底するようなオーケストラだし、メロディの付け方にもその影響がはっきり見える。男のエゴに振り回されての自己犠牲ということでは、つうも蝶々さんと共通する。つうの歌の多くは叙情的でゆったりと流れる旋律で占められ、ついつい単調に陥りがち、これを食い止めるだけの歌唱はかなり難しい。石橋さんはよく演じ歌っていたと思う。

日本語オペラでも字幕をつけることが多い昨今、この公演は字幕無し。「鶴の恩返し」なら「まんが日本昔ばなし」で今の高校生だって見たことがあるだろうしということか。ただ、いくら日本語でも聴き取れない部分が少しある。

高校生のためのオペラ鑑賞教室に来るのは三度目になる。二年続けて「愛の妙薬」、一年飛ばして今回、団体で鑑賞する高校はその都度違っているので会場の雰囲気も微妙に違う。開演前、休憩時間の賑やかなお喋りや仲間同士のおふざけは変わらないにしても、人間から動物まで幅広いものがある。その点では今回の高校生はかなりお行儀がよかった。学校の指導なのか、もともとの生徒のレベルなのか。残席を当日一般発売で購入する側からは、どんな環境になるか博打みたいなものだ。それがまたこの公演の面白さでもある。来年は「蝶々夫人」の予定。

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