新国立劇場「ドン・カルロ」 ~ これから旬の人を聴く
2014/12/9

「ドン・カルロ」が新国立劇場に最初にかかったときは、ルキーノ・ヴィスコンティの古い演出だった。古いながら美しい舞台だった。その後、新演出が登場して今回が再演となる。あまりお金をかけない今どきの簡素な装置、音楽に集中と言えば聞こえはいいけど、どうなんだろう。新演出のときに5幕版にすればよかったのに、相変わらず4幕版だ。そうは言うものの、今年は「ドン・カルロ」がやけに多い。作品の価値と上演頻度の乖離が我が国でもだいぶ小さくなってきている。

「ドン・カルロ」の公演チラシ  フィリッポ二世:ラファウ・シヴェク
 ドン・カルロ:セルジオ・エスコバル
 ロドリーゴ:マルクス・ヴェルバ
 エリザベッタ:セレーナ・ファルノッキア
 エボリ公女:ソニア・ガナッシ
 宗教裁判長:妻屋秀和
 修道士:大塚博章
 テバルド:山下牧子
 レルマ伯爵/王室の布告者:村上敏明
 天よりの声:鵜木絵里
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮:ピエトロ・リッツォ
 演出・美術:マルコ・アルトゥーロ・マレッリ

再演ものを観る楽しみは前回とは違ったキャストと相まみえること、私の期待は大好きなソニア・ガナッシがエボリを歌うというのが最大のもの、その他の来日メンバーには馴染みがないがどんなんだろうとワクワク。

そして、終わってみればマックス・ヴェルバのロドリーゴが何とも素晴らしい。今回の公演のピカイチと言って過言でない。千秋楽、平日のマチネなので、オペラゴーアーたちが集結する週末公演と違い客席の反応は鈍い。聴かせどころのソロのあとに拍手が沸かないこともあるし、こんなにいいのに何でと思うこともしばしば。第3幕第2場のロドリーゴの独り舞台、初めの「終わりの日は来た」のあと、タイミングを逃さず確信を持って拍手、すると尻すぼみになることなく、私に和する人たちが続く。

ヴェルバのロドリーゴは異色だ。軍人そのものの強面のポーサという役作りの人が多いなか、ウェルバは外見上の動きなどから演技過剰の印象があるが、実はその歌は終始一貫ベルカント、激しい感情を露わにする場面でもレガートで流れる歌の心地よさを逸脱することはない。もちろん舞台を観ている訳だが、目をつぶって聴いても、録音だけで聴いたとしてもこの人の歌は特筆ものだ。

第3幕第2場と並んで感心したのは第1幕第2場のフィリッポとの長い二重唱だ。王の問いかけに対し、ロドリーゴがフランドルの窮状を訴え心情を吐露する場面、続く君主の圧政に対する諫言の場面、それを接続する部分の「(王に意見具申する機会を得て)私は幸運だ(Ah! sia benedetto Iddio, che narrar lascia a me)」とヴェルディの音楽に一瞬光が差す箇所、この部分の意味、絶望の中の一縷の望みという位置づけであることを、今回の舞台でのヴェルバの歌唱でハッと気づかされた。さらに後の場面、暴君が漏らす妃や王子に係る人間的な悩みに触れて、「思いもしない希望が見えた(Inaspettata aurora in cielo appar!)」と独白する箇所でのロドリーゴの心理の変化は判りやすいが、その前にも一箇所あったのだと思い知る。これら一連の場面での真摯さの表現、「夢想家(sognator!)」と王に一蹴され、「宗教裁判長には気をつけよ(Ti guarda dal Grande Inquisitor!) 」と諭されるに至るデュエットはこの公演の白眉だった。声楽的なアンサンブル云々ではなく、この二人のやりとりの切実さを感じたことは何度も観ているオペラなのに、これまでなかった。ヴェルバ、ちょっと動きすぎの嫌いもあるが、それが返って王のいう"夢想家"らしいところかも。台本の意味を踏まえたテンポの変化も自在、これがあの東京フィルかと驚くほどオーケストラも雄弁だ。千秋楽だし、既に今年東京二期会の5幕版公演でピットに入ったことの蓄積もあるだろうし、今回の指揮、ピエトロ・リッツォの手腕も見事だと言える。

第2幕と第3幕の間に30分間の休憩が一回のみ、長さからすれば第1幕の後にポーズを置いてもよいのだろうが、ドラマがうねり一気にアウトダフェに流れ込むというのも悪くない。面白いのは前半と後半とで歌の出来にギャップのある人が見られたこと。フィリッポ二世のラファウ・シヴェクは前半が文句なしだったのに、有名なアリアで始まる後半がやや平板な印象だった。逆に、エボリのソニア・ガナッシは前半は好調とは言えなかったのに後半持ち直した。両者は対照的だ。

シヴェクの重い声は王の権威の具現ということでは申し分ないし、先述のヴェルバとの場面でも両者の対比が際だつという効果を得ていたのに、内心の苦悩や弱さの表現が求められる後半の場面では物足りない部分もある。

ガナッシの歌については、特に前半では強拍部分の言葉にかなり強烈なアクセントを置いた歌い方が印象に残る。意識的にやっているのだろうと思うが、言葉の明晰さとリズムの明快さが伝わるもののやや違和感も抱く。前半のヴェールの歌よりも後半の「むごい運命よ」のほうに力を注いだ感じもある。これまでロッシーニやベッリーニでしか聴いていなかった人が、エボリというのは大丈夫なんだろうか。彼女はヴェルディの諸役にシフトしているのだろうか。過去のルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニの例もあるし、心配なところでもある。

ドン・カルロを歌ったセルジオ・エスコバル、とんでもなく声の出る人だ。しかも美声。これからどんどん伸していくに違いない。これだけの声があれば、メットでもスカラでも、それにNHKホールでも全く問題ない。あとはどれだけ役柄を把握し、表現力の幅を身につけるかだろう。まあ、それも時間の問題か。第2幕第1場で王妃に寄せる想いをエボリに見破られロドリーゴが割って入る場面など、オロオロするダメ男そのものなのに、歌はガンガンというのも奇妙なものだ。終幕のエリザベッタとのデュエットにしても、そんなに声を張るような場面ではないと思うのだけど。でも、新国立劇場でこれからの人が聴けるのは嬉しい。

エリザベッタのセレーナ・ファルノッキアは私はあまり評価できない。確かに終幕の大アリアは決めているのだけど、オペラ全体の中にきちんと収まっていない。それに至るまでのシーンでの歌にドラマへの没入が感じられないことが印象を悪くしている。「世の空しさを知る神」の個々のフレーズにしても、聴衆の心を掴むようなもっと突っ込んだ表現が可能ではないかと思うのだが。

脇を固める国内陣、それぞれ健闘とは言えるのだが、来日勢に拮抗して耳目を集めるような存在にまで至っていないのが残念だ。とくに初めと終わりに聴かせどころがある修道士役は大事だと思うのだが、大塚博章さんはいかにも力不足、声はありそうだが響きが汚い。これはミスキャスト、というか人材難。

最後に、合唱は完璧だ。世界中のオペラハウスを見渡しても、これだけの水準のところは見あたらないだろう。数年前のスカラ座の来日公演でも「ドン・カルロ」がかかったが、彼の大本山(?)のコーラスを優に凌駕している。開演前に劇場前で配られていた合唱団員の身分保障を訴えるビラを読むに、処遇安定の功罪相半ばと思うものの何とも複雑な気持ちだ。ともあれ、ここまでのレベルに引き上げた三澤洋史さん、近著「オペラ座のお仕事」は図書館に予約を入れているところだが、早く読みたいものだ。

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