大野和士/京都市交響楽団の第九 ~ 今年は世間並に
2014/12/27

昔に比べると、12月でも第九ばかりということはなくなったようだ。私にとって劇場通いはお休みの月と相場が決まっていたが、東京で「ドン・カルロ」も観たし、京都では世間並に第九も聴く。とは言っても何年ぶりだろう。指揮者に大野和士という名前がなければ行くことはなかったろう。11月以来、京都市交響楽団も餅代稼ぎの第九コンサートを重ねて既に5回が終了。この週末が今年最後の演奏会。

公演のチラシです。  バーバー:弦楽のためのアダージョ
 ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付」op.125
  リー・シューイン(ソプラノ)
  池田香織(メゾソプラノ)
  西村悟(テノール)
  須藤慎吾(バリト
  京響コーラス
  指揮:大野和士

初日と二日目で組み合わせる曲が異なる。今日がバーバーで明日はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。途中の休憩はない。この選曲・組合せから一つのコンセプトが透けて見える。バーバーの葬送曲のようなナンバーで始まり第九と続くと、沈痛な雰囲気から大騒ぎに至るという筋書き、弔事から慶事へ、この両者の機会音楽としての使われ方がまさにそうだ。

弦楽のためのアダージョから最後の第九コーラスに向かって、一直線という感じの進め方だった。ときに顔を出すアンサンブルの乱れなど意に介さず一気呵成というのも、これまで聴いた大野さんの演奏とは異質だ。ベートーヴェンの時代の「全ての人は兄弟となる」とか「抱き合え、幾百万の人々よ」といったオプティミズムとはあまりに距離のありすぎる今の世界だし、コンクルーションが歓喜の合唱という脳天気さに違和感を持つのが21世紀に生きる人間ではないだろうか。そういう点では現代的な演奏、善悪も苦楽も悲喜もある世の中、過度なメッセージ性から距離を置き、ただ音楽があるがままにという演奏と感じた。

私が座ったのは安いPゾーン、大野さんの指揮ぶりがよく見える。声楽が加わるところからは劇場人としての本領を遺憾なく発揮、コーラスのパートではプロンプターさながらに歌いながらの指揮となる。こちらもつられて歌ってしまいそうになるが、おっと、歌詞を覚えているわけではない。Pゾーンの客が勝手に歌い出したら大混乱は必至だ。

この日もチケット完売、京都市交響楽団の定期演奏会の連続完売記録も継続中のようだ。新シーズンから奇数月は2回公演になるらしい。コリリアーノのシンフォニーがメインとなる回あたりは危なそうだが、下野さんの指揮とマイスキー一家の三重協奏曲で凌ごうといういうことだろう。そしてヨーロッパ演奏旅行も予定されているようだ。閑古鳥が鳴いていた京都会館時代を知っているだけに隔世の感がある。入門編のシリーズに力を入れて新しいファンを獲得するなどの取組の成果なんだろうが、私にはいまひとつ隆盛の理由が判らない。年に何度か定期演奏会を聴いている限り、パフォーマンスはあまり変わっていないように思えるのだが。

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