新国立劇場「運命の力」 ~ 水と油の融合?
2015/4/8

オペラ作品のなかでは上演頻度の割には舞台に接する機会が多いものがある。私の場合、「運命の力」がその典型だ。国内で滅多に上演されていなかった頃、井上道義指揮での二期会公演がきっかけのはず。このときは昭和天皇の大喪の礼と重なったため一部公演が中止になったものの、幸いにして観ることができた。続いて藤原歌劇団でのジュゼッペ・ジャコミーニとレナート・ブルゾンの組み合わせというキャストの公演、びわ湖ホールでのマリインスキー劇場来日公演はサンクトペテルブルグ初演版だった。これらの公演の後はしばしば舞台にかかるようになったし、新国立劇場でもこれが三度目になるはず。もっとも、私はこのプロダクションを観るのは初めて。前夜のワーグナーほどではないが、こちらもかなり重量級の作品だ。

公演のチラシです。  レオノーラ:イアーノ・タマー
 ドン・アルヴァーロ:ゾラン・トドロヴィッチ
 ドン・カルロ:マルコ・ディ・フェリーチェ
 プレツィオジッラ:ケテワン・ケモクリーゼ
 グァルディアーノ神父:松位浩
 フラ・メリトーネ:マルコ・カマストラ
 カラトラーヴァ侯爵:久保田真澄
 マストロ・トラブーコ:松浦健
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮:ホセ・ルイス・ゴメス
 演出:エミリオ・サージ
 美術・衣裳:ローレンス・コルベッラ
 照明:磯野睦

ロシアでの初演版は幕切れで主要登場人物三人が絶命するという陰惨なもの。改訂版だとドン・アルヴァーロだけが生き残るにしても暗い話であることに変わりはない。その一方で、プレツィオジッラ、フラ・メリトーネ、マストロ・トラブーコという三人のブッファ的人物が配されるという変わった造りのオペラだ。

悲劇の主人公たち、レオノーラ、ドン・アルヴァーロ、ドン・カルロが絡む部分のみドラマの本筋が流れ、三人の喜劇的人物の出番は脇筋どころか、インテルメッツォ風でもある。断続的に悲劇の場面が配されていて融合することはない。両様の対照的な場面がパッチワークよろしく織りなされているのが「運命の力」、「ドン・カルロ」のような息を吐く暇もないような求心力はない。「運命の力」は下手をすると散漫になるリスクが高い作品だ。かと言って、失敗作ではなく、これはヴェルディの大傑作のひとつだし、私のけっこう好きなオペラだ。何と言っても音楽が魅力的、ヴェルディがテノールのために書いた最高のアリアがあるし、テノールとバリトンの二つのデュエット、フラ・メリトーネのモノローグにグァルディアーノ神父が絡む部分の面白さ、ソプラノとメゾのそれぞれのソロも素晴らしい。各場面の切り替えとそれぞれの音楽をあるがままに楽しむというのが「運命の力」の正しい受容法ではないかなと思ったりする。力のある歌手を少なくとも6人揃えなければ満足できる水準に達しないのが、かつて上演頻度が低かった理由だろう。

今回の公演では、レオノーラ、ドン・アルヴァーロ、フラ・メリトーネについて不満なところがあるが、ドン・カルロ、プレツィオジッラ、グァルディアーノ神父は満足な出来映えというのが私の印象。なかでもグァルディアーノ神父を歌った松位浩さんがいい。新国立劇場専属バスの趣きもある妻屋秀和さんにはない重量級の響きは得難いもの。

原題は「ドン・アルヴァーロ、または運命の力」なので、ドン・アルヴァーロがタイトルロールに準ずるのだが、ゾラン・トドロヴィッチは私の好みから言えばいまひとつ。この役を得意にしていて、ヨナス・カウフマンの代役でも歌っているらしい。そんな紹介文を読むと、確かに私がカウフマンを好まない理由と共通する歌い方がこの人にもある。力で押したようなフォルテがレガートのラインを断ち切るところ、デリケートな弱声の魅力に乏しいこと、イタリア語の響きの美しさとは微妙にずれた発声などがそれ。もちろんこれらの欠点が全てを台無しにする訳ではなく全体としてみれば立派な歌なんだけど、無い物ねだりに近くても理想を求めたくなるゴーアーの性癖は仕方がない。

同様にイアーノ・タマーのレオノーラもこの役が求める声の豊麗さに欠ける。ヴェルディの二人のレオノーラは所謂Voce Verdianaで歌われてこそ、本来の魅力があるものだが、この人の現在の声はそこまでの厚みを持っていない。両端の幕の出番はまずまずとしても、修道院に入るところでは歌の存在感が乏しい。

逆にプレツィオジッラ役のケテワン・ケモクリーゼは演技過剰ぐらいで、歌の面でも存在感がある。動のプレツィオジッラに対して静のグァルディアーノ神父の松位浩さんの対照もいい。残念なのはフラ・メリトーネのマルコ・カマストラ、声がなく、わざわざ海外から呼ぶほどの人ではない。ブッフォ的な歌いまわしや演技にみるべきものがあるならまだしも。ドン・カルロのマルコ・ディ・フェリーチェはとてもサラマンカ大学の学生には見えないスキンヘッドの偉丈夫で可笑しいが歌はいい感じだ。

「シチリアの夕べの祈り」と並ぶ大序曲で始まるオペラ、ホセ・ルイス・ゴメス指揮の東京フィルの演奏は悪くない。これは演奏機会も多いから手慣れたもので、オペラ本編になるとどうかなという危惧もあったが、いつもの水準以上の演奏だったと思う。新国立劇場合唱団はいつものように安定した出来映え。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system