ソフィア国立歌劇場「イーゴリ公」 〜 もう、むちゃくちゃ
2015年10月17日

西宮の安いチケットが手に入らず、ネットで名古屋の額面割れの最安席チケットを入手した。時間はあるし、近鉄の優待乗車証もあるから、西宮も名古屋も大差ない。それで出かけたのはいいが、これはもう無茶苦茶という次元の公演だった。 初めて観るオペラという興味が主で、多くを期待し臨んだわけではないが、予想をはるかに超えた。

公演のチラシ

イーゴリ公:スタニスラフ・トリフォノフ
 ヤロスラーヴナ:ガブリエラ・ゲオルギエヴァ
 ウラディミール:フリシミール・ダミャノフ
 ガリツキー公:アレクサンダル・ノスィコフ
 コンチャク汗:アンゲル・フリストフ
 コンチャコーヴナ:ツヴェタ・サランベリエウヴァ
 ソフィア国立歌劇場管弦楽団/合唱団/バレエ団
 指揮:グリゴール・バリカロフ
 演出:ブラーメン・カルターロフ

帰りの近鉄特急の都合があるので、終演時刻を問い合わせたとき、20:45頃ということだった。ところが、17:00開演で30分の休憩を挟み、幕が下りたのは20:00にもなっていなかった。正味2時間半、もっと長いオペラじゃなかったのか。予約より1時間も早い特急に乗れるというオマケまで付いた。

この45分の差は何だろう。きっと、思いっきりカットしたに違いない。おかげで、お話は脈絡なしの唐突な展開の連発で、これでもかとばかりの奇天烈さだ。こうなると次はどんなとヘンな興味が出てきて、退屈極まりないな演奏なのに居眠りする暇もない。無理のあるストーリーのオペラは多くても、ここまで凄いのはちょっと経験がないぞ。ドラマ(あるとすれば)が完全に破綻している。それとも、これは抜粋版上演なのか。

「イーゴリ公」がボロディンの未完のオペラであり、グラズノフやリムスキー=コルサコフが補作し、上演版を完成させたことぐらいは知っていた。もちろん、後に色々な再構成が行われて何々版というのが多くあるのだろう。今回の上演もブラーメン・カルターロフ版と称しているぐらいだから、取捨選択に工夫が凝らされているのかも。しかし、その結果がこれか…。

敵対するイーゴリ公とコンチャク汗なのに、なぜ肝胆相照らす間柄になるのか、コンチャク汗は歌の中では他民族への残忍さを見せているのに、イーゴリ公には寛大で、剰えその息子と自分の娘の結婚まで許すのか、大枠のところから理解不能なのは措くとしても、細部でもエッと思うところが続出する。

捕虜の身から脱出した父イーゴリ公の後を追い、恋人コンチャコーヴナを振り切って別れて脱出を図ったウラディミールが、コンチャコーヴナの逆鱗に触れ直ぐさま捉えられたかと思うと、コンチャク汗から結婚の許しがあり、ひしと抱き合う。この推移が時間にして1分間もないだろう。ついさっきの決意はどうなった。そんなアホな。

幕切れ、故郷の妻のもとに戻ったイーゴリ公、再開の喜びに浸るまもなく、何故かコンチャク汗も現れて、どうも婚礼が始まるらしい。ここで有名なバレエがたっぷりと。幕切れはイーゴリ公とコンチャク汗が手を携えて剣を地面に突き刺して終わる。これが平和へのメッセージということか。まるで子供だまし。そう言えば、イーゴリ公が不在の間に暴虐を尽くしたガリツキー公はどうなったんだろう。

キャストの中でメジャーなオペラハウスの舞台に立てそうなのはヤロスラーヴナ役を歌ったガブリエラ・ゲオルギエヴァぐらいだろう。その他は所詮ローカルな歌劇場のメンバーという感じだ。かつてその名を轟かせたコーラスも、各パートに何人か響きが揃わない人がいたりして、今は見る影もない有り様だ。新国立劇場合唱団に慣れた耳には、どこのアマチュア公演かというレベルに成り下がっている。

ギャウロフ、ディミトローヴァに代表されるように、昔からブルガリアの最高の歌手たちは西側で歌っていた。ただ、それはごく限られた人たちだった。思えば東西の壁がなくなってほぼ一世代の年月が流れた。この間にどれだけの才能がこの國から流出したんだろうか。富かさは才能を引き寄せるのは古今東西の常、何度目かの来日公演になるこの歌劇場は長い下り坂を歩んでいるようだ。

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