トリオ・ラファール 〜 とってもよく判るピアノ三重奏の変遷
2015/11/16

いずみホールでグランプリ・コンサート2015を聴く。以前に日本室内楽振興財団が主催する大阪国際室内楽コンクール&フェスタコンクールのフェスタ部門審査員を務めたり、広報誌「奏」に寄稿したりした縁で、毎回このコンサートにご招待いただいている。 今回はちょうど大阪に出る用事もあったので、久しぶりにOBPに立ち寄る。

公演のチラシ

今回は2014年のピアノ三重奏・四重奏部門第1位のトリオ・ラファールの演奏で、プログラムは次のとおり(二種類のプログラムで全国各地で12公演)。

モーツァルト:ピアノ三重奏曲第4番ホ長調K.542
 シューマン:ピアノ三重奏曲ト短調Op.110
 ヴェレシュ:ピアノ三重奏曲第3番
 ラヴェル:ピアノ三重奏曲イ短調
   マキ・ヴィーダーケアー(ピアノ)
   ダニエル・メラー(ヴァイオリン)
   フルリン・クオンツ(チェロ)

団体名のトリオ・ラファールはフランス語のようなので、いま大変なことになっている国の人たちかと思ったら、スイスの団体らしい。1曲目が終わって挨拶したピアノのヴィーダーケアーさんはドイツ語でしゃべり出した。いや、すぐに日本語で曲目紹介に移る。あれっ、とても日本語が上手だ。なあんだ、この人は日本育ちなんだ。

このプログラムはとても面白い。モーツァルトに始まってラヴェルに終わる。まるでピアノ三重奏曲の歴史を辿るようだ。ほとんどヴァイオリンソナタのようなモーツァルトからシューマンに移ると、かくも古典派とロマン派が違うのかということに驚かされる。たんにチェロのウェイトが増すと言うだけのことではない。形式の自由さ、感情表現の奔放さに、同じジャンルの音楽とは思えないほどだ。

きれいだけどつまらないモーツアルトに比べ、シューマンの曲はずっと重くて手応えがある。シンフォニーでは才能を発揮しているとは言えない作曲家なのに、室内楽ではずっと自然だし自由だ。この人、無理にシンフォニーなんて書く必要はなかったのに。

ヴェレシュの作品、名前を聞くのも初めてのハンガリーの作曲家だけど、この人は日本政府が各国の著名作曲家に委嘱した皇紀2600年記念の作品を寄せた人だという。リヒャルト・シュトラウスの賑やかだけで空疎な作品(「大管弦楽のための日本の皇紀2600年によせる祝典曲」)、ベンジャミン・ブリテンの真面目だけどシニカルな作品(「シンフォニア・ダ・レクイエム」)と、とかく問題含みのものが多いなか、この人はどんな曲を寄せたのだろう。このピアノ三重奏曲は委嘱作品ではなく準音楽的な傾向のものだ。休憩を挟んでロマン派から現代音楽に飛んだ。
 ちなみに、この記念事業にはイタリアのイルデブランド・ピツェッティ、フランスのジャック・イベールの名前も委嘱作曲家に並んでいる。良かれ悪しかれ軍国日本の国威発揚という背景は否めないし、大きなオーケストラ編成ということに加え演奏機会が少なくなるのだろう。

最後のラヴェルは面白い作品だ。ありきたりの言葉で言うと色彩的、地味なジャンルの室内楽という先入観を打ち砕くような多彩さ、音響の斬新さや変拍子の跳梁などてんこ盛り状態だ。ラヴェルが書くとピアノ三重奏曲だってこうなる、オーケストラだけじゃないんだよという作曲者のつぶやきが聞こえてきそうだ。演奏もきっと難しいのだろう。ラストナンバーにするだけあって、盛り上がりも素晴らしいものがある。

トリオ・ラファール、各地のコンクールで入賞して、その最後の仕上げが大阪国際室内楽コンクールの優勝ということだ。これでコンクールは打ち止め、アーティストとしての活動が始まっているようだ。弦楽四重奏と違って、ピアノトリオというと大家のセッションのイメージが強いが、彼らは常設のトリオとしてずっと続けて行くのだろうか。バランス的にはチェロに問題がありそうな気もするが、さて。

このコンサート、一般売りはせず、全て招待客で席が埋まっている。スポンサーがらみのルートで多くが流れているのだろうが、私のケースは事前に案内があり、申告制で自身の出席あるいは代理の出席を返事する。出席の場合には後日改めて当人に招待券が送られてくるという手間をかけている。客席の雰囲気を壊さないように、単なるバラマキにはしない主催者の配慮が窺える。5台のテレビカメラが入っていたので、この財団の母体である読売テレビ系で放映されるはずだ。

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