アシュケナージ/京都市響のブラームス&チャイコフスキー
2015/11/22

この時期の週末、京都の喧噪は分かっているのであまり行きたくはないが、チケットが手に入り北山まで地下鉄で。アシュケナージという人はピアニストとしても指揮者としても聴いたことがないし、ブラームスとチャイコフスキーのシンフォニーの二つというプログラムも気に入ったし。

定期演奏会の開演前、京都市響ではいつもプレトークがある。早めに着いたのでプロセニアム席に座って聞いたのだが…
 通訳(英語)がひどい。先ず、アシュケナージ氏がコンサート来場の感謝を述べると、いきなり「講演会」、一度なら言い間違いかと思うが何回も連発。なんだこりゃ。著名指揮者とのコンサートでの面白いエピソードを紹介するということだったが、一生懸命通訳しているのだろうが、何故かアシュケナージ氏の3倍ぐらいの言葉数を要し、それも早口で不明瞭で聞き取りにくい。面白い話のはずなのに客席の笑いもなければさしたる反応もない。これは困ったものだ。しっかり人選すべきだろう。せっかくの来場者サービスが演奏前に雰囲気を壊す。聞かなきゃよかった。

公演のチラシ

ブラームス:交響曲第2番ニ長調op.73
 チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調op.64
 指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
 管弦楽:京都市交響楽団

気を取り直してブラームスを聴く。素直な演奏というのが率直な感想、外連味もなく音楽がスムースに流れる。ブラームス特有の音を重ねたオーケストラの厚ぼったさはなく、すっきりしたサウンドに仕上がっている。アシュケナージの指揮ぶりは極めてシンプル、動作のパターンは少なくて細かな表情づけがされているとはあまり思えない。リハーサルでどのような指示がされているのか判らないが、自然体の演奏とも言うべきか。

後半のチャイコフスキーはちょっと違う。指揮ぶりは変わりがないが、表情づけが濃密になっている。各ソロ楽器のメロディラインを大切にしていることがはっきりと窺える。京都市交響楽団の定期演奏会では、前に同じ曲をサレクサンドル・ラザレフの爆演とも言えるものを聴いているだけに、それと比べるとダイナミックスの変化は大人しめだ。それでもブラームスとは段違いの表情の濃密さがある。ラザレフの演奏が郷土料理をそのままの味で供したものとすれば、アシュケナージの演奏は味付けを少しマイルドにしてより広範な嗜好に合わせたものかも知れない。どちらがよいとは一概に言えるものではないだろう。

シンフォニーのみ二曲というのはギャラの関係でソリストを呼べなかったのではないかと想像する。私にすれば全然それで構わない。充実したコンサートだった。前日は大阪、この日は京都と、今年はほとんど行かなかったオーケストラのコンサートが続いた。連日、本体の演奏以外で水を差すようなことがあって、余計かも知れないことを言うのは自分でも歳のせいかなとも思うなあ。気をつけなきゃ。

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