大阪交響楽団のハイドン・プログラム
2016/1/26

今年はじめてのコンサートになる。昨年はずいぶん回数が減ったし、今年もそんなに数は増えそうもない。新国立劇場の「ローエングリン」とか、見逃せないオペラは行くにしても、オーケストラ・コンサートともなると厳選が進むだろう。そんな中で大阪交響楽団の風変わりなプログラムは、低価格もあって生き残りそうだ。100人近いプロ演奏家のライブがたった1000円というのは、考えてみれば破格。

この日は、「ハイドン疾風怒濤の時代」と銘打った定期演奏会、オール・ハイドン・プログラムというのも珍しいが、このオーケストラのことなので大概のことには驚かないし、砂川涼子さんが歌う二つのアリアが聴けるのも魅力だ。

 歌劇「無人島」序曲
 歌劇「アルミーダ」よりアルミーダのレチタティーヴォとアリア
  「私があなたを愛しているのを分かって ~ 憎しみ、怒り、侮辱、苦しみが」
 交響曲第49番ヘ短調「受難」
 シェーナ「ベレニーチェ、どうするの?お前の愛する人が死ぬというのに」
 交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」
   ソプラノ:砂川涼子
   指揮:園田隆一郎
   大阪交響楽団
   ザ・シンフォニーホール

昨晩のハイドンは疾風怒濤期の作品ということで、30代のころの作品とか。そういう先入観で聴くわけでもないけど、やはり壮年期という響きが随所にある。晩年の佇まいとはちょっとイメージが違って、ここで取り上げられた声楽作品はけっこう激しい調子だ。これを砂川さんが歌うのはなんだか不思議な感じもする。それは私が彼女に抱くイメージのせいでもある。

この人の舞台デビューが2001年の「イル・カンピエッロ」とプログラムにあったが、私はその舞台を観ている。そうか、もうあれから15年。ミミやミカエラ、それにアントニアといったところがこの人にぴったりの役柄だったが、最近ではヴィオレッタも歌っているし随分と幅も広がった。このハイドンの二つのアリアにしても、少し前の彼女なら歌わなかったような曲ではないかな。

二曲目のシェーナは10分を優に超える長大な曲だ。感情の起伏も激しいし、クライマックスの強靱な声も要求される。もっとスケール感が出る歌い手もいるとは思うが、彼女らしい丁寧な仕上げも好ましい。いちおう譜面台は置かれていても、それを見ているような素振りはほとんどない。お守りみたいなものか。

シンフォニーホールで聴く声楽は、いつも初めの5分間ほどは耳が慣れない。オーケストラにはほどよい残響でも、声には響きすぎるところがある。同じ大阪のいずみホールにしてもそう。やはり東京文化会館などのオペラに適したホールで聴きたいものだ。砂川さんの言葉もなんだか輪郭がぼやけてしまって、イタリア語の単語があまり耳に届かない。美しい響きだけでは困るのだ。

声楽のナンバーを序曲とシンフォニーでサンドイッチ構造にしたプログラム、最初の「無人島」は、私が舞台上演を観たことのあるハイドン唯一のオペラだ。序曲がどんなだったか思い出せなかった。

「受難」はいまひとつピンと来ない作品だったが、「告別」のほうはオーケストラの熱演もあって面白かった。こっちは傑作と言ってもいいぐらい。タイトルの由来の長いコーダをどうするのかと思ったら、普通に奏者が順次退席して、最後のヴァイオリンが二丁残って消えゆくように暗転というごく普通のもの。と言っても実演を観るのも聴くのも私は初めてだけど。

真っ暗になってコンサート終わりという訳にもいかないので、奏者と入れ替わりに少し前に退場した指揮者の園田さんが舞台に戻って来てプレトークならぬポストトークとなる。ロビーに出る頃にはさっき退場したオーケストラメンバーがお見送りという図。

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