新国立劇場「ウェルテル」 〜 帳尻合わせか
2016/4/9

新国立劇場で「ウェルテル」がかかるのは14年ぶりとか。五十嵐喜芳監督の頃に「ドン・キショット」やら「マノン」やら、マスネを集中的に取り上げて以来のことだろう。この劇場もいつの間にかオペラハウスの主要なレパートリーをカバーしてしまったことになる。そろそろ法外な価格設定の引っ越し公演に引導を渡すときが近づいているようにも思う。オーケストラもコーラスも要らないし、まして建物も空気も運べない。現地に行けば済むことだもの。

さて、今回の「ウェルテル」、久々のキャスト変更のドタバタだった。タイトルロールの交通事故、指揮者も二転三転、しかし、この世界では珍しいことではない。しっかり代役を立てるだけの劇場としての力もついて来たと評価できるかも知れない。MET常連のジョルダーニを聴いてみたかった気もするが、たぶん今回のディミトリー・コルチャックのほうが、この役柄には相応しいように思える。

ウェルテル:ディミトリー・コルチャック
 シャルロット:エレーナ・マクシモワ
 アルベール:アドリアン・エレート
 ソフィー:砂川涼子
 大法官:久保田真澄
 シュミット:村上公太
 ジョアン:森口賢二
 合唱:新国立劇場合唱団
 児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
 合唱指揮:三澤洋史
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮:エマニュエル・プラッソン
 演出:ニコラ・ジョエル

休憩は2回、第3幕と第4幕は続けて演奏される。その後半の幕と前半との落差が甚だしい。いったい第1幕、第2幕は何だったんだろう。どこと言って大きな瑕疵はないのだが、一向に感興が湧かないし舞台に没入できない。マスネの音楽自体が元々そうなのだと言ってしまえば身も蓋もないけど、演奏次第では引き込まれることもあるはずだ。それがなかったのは、三人目の指揮者の能力の問題だろうと取り敢えずの結論に達した。いつもよりオーケストラは豊かに鳴っている。ただメリハリがない。のっぺり感が漂うばかり。サッバッティーニが歌った前回の新国立劇場のプロダクション、大野和士さんがリヨンのメンバーを連れてきた演奏会形式での上演、そのいずれにも見劣りする。

ディミトリー・コルチャックというテノールは、若くて舞台映えもするし、人気急上昇なのも判る。音楽の質がガラッと変わる後半の幕の歌は素晴らしかったし、エレーナ・マクシモワのシャルロットとの絡みも聴き応えがあった。それがどうして前半の音楽と不連続になったのだろう。やっぱりピットの問題か。
 アルベールのアドリアン・エレートの存在感の乏しさに比べ、ソフィーの砂川涼子さんは良いほうに目立つ。この大して重要でもない役にもったいないぐらいだ。

後半の充実ぶりで救われたところはあっても、どうもパッとしない前半との帳尻を合わせた感じが残り、終わりよければとは言い難いものがある。ニコラ・ジョエルの演出はオーソドックスなもので、ハッとするようなところはない。ただ、終幕のウェルテルの書斎のセットは素敵だ。背景はプロセニアムの高さまで書棚で覆われていて、この人物が知的レベルの高い高級官僚であったことを窺わせる。ペントハウスなのだろう。シャルロットは階下から螺旋階段を伝って現れる。

ロビーのポスターで宣伝していたようにコルチャックはこの秋のマリインスキー劇場来日公演の「エフゲニー・オネーギン」でレンスキー役を歌う予定になっている。この両方の役を歌うテノールは多いので彼もその一人なのだろう。自殺と決闘という違いこそあれ、どちらもピストルで命を落とすという妙な共通項がある。

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