関西フィル定期「トリスタンとイゾルデ」第3幕 〜 うーん残念
2016/7/15

先頃、新国立劇場の次期芸術監督に大野和士さんの就任が発表され、飯守さんの任期もあと二年ということになる。いま進んでいる「ニーベルンクの指輪」完結をもって退任ということになるのだろう。もう、ずいぶんお歳だし、立ち姿や歩みも老いの翳が濃い。
 会場のシンフォニーホールに早い時間に着いたのでプレトークを聞いた。ワーグナーとこの作品への熱い思いを語っておられるのだが、話し方がずいぶん下手だ。飯守さんの気持ちはわかるが、それを言葉で伝えるのは苦手なのだろう。話題の途中で別の文脈に突然移り主述の関係は捻れっぱなし、書き起こしたとしたら、まともな日本語の文章にならない。指揮者とオーケストラとのコミュニケーションは言葉だけではないから、これでもいいんだろうけど。

トリスタン:二塚直紀
 イゾルデ:畑田弘美
 マルケ王:片桐直樹
 ブランゲーネ:福原寿美枝
 クルヴェナール:萩原寛明
 メーロト:松原友
 牧童:谷浩一郎
 指揮:飯守泰次郎
 管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団

「トリスタンとイゾルデ」第2幕は2010年にこのシリーズで取り上げられている。今回、イゾルデ、ブランゲーネは同じ配役、トリスタンは竹田昌弘さんから二塚直紀さんに替わった。第3幕は題名役のテノールとソプラノがほとんど全てなので、この二人の人選がどうなのかという問題になる。

結論から言えば、不満足だ。2011年の「ジークフリート」第1幕でのミーメ役で進境著しいところを見せてくれた二塚さんだが、この幕では瀕死というシチュエーションにしても、トリスタンを歌うには力不足が否めない。キャラクターテノールとヘルデンテノールの違いということなのか。一方の畑田さんは前回も感じたとおり、やはり無理がある。全くのパワー不足でオーケストラに声がかき消される。これでは歌唱以前の問題。関西の歌手で固めるのは悪いわけではないが、イゾルデを歌えるソブラノが他にいないのだろうか。確か、並河寿美さんは舞台では歌っていないが2010年の新国立劇場の公演のカバーキャストだったはず、そんな選択肢はなかったのだろうか。

覆いがあるピットと舞台の上に陣取るオーケストラではあまりにも差が大きいところに、声のスタミナの点でも見劣りするのだから、歌い手の方々には気の毒だと言える。オーケストラがもっと抑えればいいのだけど、なかなかそうもいかない力演になる。そう、オーケストラは確かに熱がこもっていた。先日、同じ飯守さんの指揮で「ローエングリン」を観たときのオーケストラは東京フィル、お世辞にも褒められた出来ではなかった。彼らがお座敷公演のルーチンとしてこなすのと、関西フィルが1回限りの定期演奏会で取り上げるのでは、メンバーの意識からして違うのは当然だ。飯守さんとの付き合いも長いし気心も知れている。オーケストラだけを言うなら、今回の公演は大成功、幕切れのソプラノは非力だけどオーケストラだけを聴くなら陶酔的なワーグナーサウンドを紡ぎ出している。

今回の演奏では舞台後方Pゾーンの客席にイングリッシュホルンとホルツ・トランペットが配され、ソリストのような扱いでスポットが当たる。前者には読売日本交響楽団の奏者、北村貴子さんを招いたとのこと。なるほどねえ、情緒纏綿、間然するところがない。後者は木製、アルペンホルンまでは行かないが、床に着きそうなほど長い。ヤマハが最近制作したものらしい。柔らかい音だ。アイーダ・トランペットだってお手の物のこの会社、いっそ「マダム・バタフライ」でプッチーニが要求したエキゾチックな楽器(ほとんど代用されている)も作ってしまい、スカラやMETに寄贈すれば文化的価値があるばかりか企業のパブリシティ効果も高いと思うのだが。

話は脱線したが、飯守さんが関西フィルと1988年から行ってきた演奏会形式でのオベラ上演は今回が第14回(2008年は指輪ハイライトで番外)とのこと。私もかなりのものを聴いている。そして2008年からはワーグナー一辺倒だ。ただ、もはや出尽くし感もある上に、国内団体でも全曲上演が普通に行われるようになった今、このシリーズは曲がり角だと思う。もちろん、飯守さんと関西フィルのこれまでの貢献を評価するに吝かではないにせよ、新たな企画の時期ではないかと思う。

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