関西フィル定期/デュメイ meets ロシア
2016/9/25

最近はオーケストラのコンサートに足を運ぶ回数が減った。チケット代が高くなったこともあるが、魅力的なプログラムに乏しいこともある。大阪交響楽団もありきたりの路線になってしまったし。しかし、今回の関西フィルはプログラムのユニークさで早くから購入していたものだ。

チャイコフスキー:ゆううつなセレナーデ
 ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調
 ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番ハ短調
 チャイコフスキー:交響曲第2番ハ短調「小ロシア」
  指揮&ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ
  ピアノ:フリスティヤ・フージイ
  トランペット:菊本和昭

コンサートマスターの席に座ったのはギオルギ・バブアゼ氏ではないか。ずいぶん久しぶりの気がする。後任を岩谷祐之氏に引き継いで、もう関西フィルを辞めたのかと思っていた。そうじゃなかったんだ。

「ゆううつなセレナーデ」ではデュメイ氏がソロ・ヴァイオリンと指揮を兼ねるとなっているが、実際のところ導入部以外ではオーケストラに指示する余裕なんてない。詰まるところリードするのはコンサートマスターの仕事ということだろう。ソロは情緒纏綿、曲調もあるけどゆったりとした歌わせ方だ。終わりの音がとても綺麗に伸びて消える。

私にとってのメインディッシュ、ショスタコーヴィチの二つのコンチェルトはとても面白かったし、どちらも聴いていて楽しい。第1楽章はお約束のソナタ形式のようだが、もうショスタコーヴィチともなれば、どう推移するのか予想もつかないし、それが楽しみでもある。古典派からロマン派にかけての作品の予定調和的な流れではないので飽きさせない。オーケストラのコンサートで休憩前に置かれるコンチェルトを聴くと途中で意識が薄れることの多い私なのに、そうならないし興味津々なのはそういうことだったのか。

第2番の沸き立つようなリズムと音色は魅力的だ。ディズニーの「ファンタジア」をリメイクした「ファンタジア2000」で、この曲が使われたらしいが、なるほど、上手く探してきたものだ。この作曲家の9番や15番の交響曲から受ける印象に似た軽さ、洒脱さがある。ソリストのフリスティヤ・フージイさんのピアノも軽快そのもの。

第1番を聴くのは二度目、前回いずみシンフォニエッタが取り上げたときも菊本和昭さんのトランペットだった。この人が京都市交響楽団からNHK交響楽団の首席に転じた頃だ。まあ、上手いこと、何の危なげもなくケロッと吹いてしまうのだから。ピアノとの掛け合いも息のあったもの。

2曲並べて聴くと、ショスタコーヴィチはピアノ協奏曲で遊んでいることがよくわかる。第2番は交響曲第11番と同時期に作曲されたらしいから、あの重苦しいシンフォニーからすると考えられない明るさだ。ブラームスの二つのピアノ協奏曲を一夜で聴いたことがあるが、あちらはシンフォニーよりシンフォニーらしいのだから、作曲家の個性というか何というか。

休憩後のチャイコフスキーの交響曲第2番は、「小ロシア」の副題で呼ばれることもある。小ロシアすなわちウクライナ、今回のピアニストはウクライナ出身の人だけど、合わせたわけでもないとは思うが。
 これは昔よく聴いた曲だ。若きロリン・マゼールがウィーンフィルを振って録音した交響曲全集を持っていた。最高にこのオーケストラの音が美しかった頃のレコーディングだった。それを思えば、デュメイ氏のこの日の演奏はずいぶん粗野な音の出し方のように思える。滑らかにフレーズを繋ぐというよりも、モチーフをブツ切りにして並べていくような趣きがある。この演奏会のキャッチコピーが「偉大なる大地に思いを馳せて」ということだから、洗練よりも泥臭さの表出に意が注がれていたのかも。まあ、そんなことはないか。

現在は週3日の仕事で定期券じゃなく回数券だし、オーケストラのコンサートでわざわざ休日に出かけるのは億劫になりがちだが、でも聴いてよかったコンサートだった。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system