マリインスキー劇場来日公演「エフゲニー・オネーギン」 〜 京都会館改め
2016/10/8

京都会館がリニューアルされてロームシアター京都となった。京都市交響楽団の定期演奏会に通ったのは若杉さんの頃だから、ずいぶん昔のことだ。この何年か京都で働いていたときはずっと工事中だったのが、ようやくオープン、さてどうなっているんだろうと興味津々で出かける。オープニング公演の最大の目玉、マリインスキー劇場来日公演の「エフゲニー・オネーギン」だ。このオペラ、私はたった一度しか観ていない。

オネーギン:アレクセイ・マルコフ
 タチヤーナ:マリア・バヤンキナ
 レンスキー:エフゲニー・アフメドフ
 オルガ:エカテリーナ・セルゲイエワ
 グレーミン侯爵:エドワルド・ツァンガ
 合唱:マリインスキー歌劇場合唱団
 管弦楽:マリインスキー歌劇場管弦楽団
 指揮:ワレリー・ゲルギエフ
 演出:アレクセイ・ステパニュク

開演が近づいてもなかなか客席は埋まらない。客の入りはさっぱりと言っていいぐらいだ。目の子でせいぜい七分、最上階のバルコニーは空っぽで、一階中央部の人口密度がやけに高くてサイドと奥はスカスカ、いかに関係者と招待客(京都公演特別協賛の大手銀行?)が多いかが知れる。身銭を切って来ている客はホールキャパの半分に満たないだろう。しぶちんの京都とは言え、ちょっとこれはひどい状態だ。自分としては、価格の割には舞台も近くて良い席のように思ったのだけど。
 まあ、人気演目ではないから仕方ないにしても、電車で20分あまりにびわ湖ホールがあるのに、構造はそのままに中途半端な改装だけでオペラ上演というのは限界がありそうだ。場面転換のポーズに幕の裏側でゴトゴトやっている音が聞こえてくるのは、なんだかレトロな感じさえする。

演奏自体はよかった。お国ものだからいいとステレオタイプになりそうだが、前に観た錚々たる顔ぶれのインターナショナルキャストよりも、まとまりがあるのは間違いない。自分はロシア語を解するわけではないが、オペラの世界の標準ではない言語だと、ご当地の歌手たちには韻律や響きで一日の長があるのは否めない。おまけに、彼らは年齢的にも登場人物との違和感がない。そしてオーケストラもコーラスも作品を知り尽くしていて、とても自然だ。いい意味でリラックスして演奏している。

このオペラ、幕が上がっても20分ぐらいはドラマが一向に始まらないという情けない台本で、そこのコーラスのナンバーにしてもバレエ音楽のような才は見られないチャイコフスキー、いきなり眠くなってしまうのが避けられない。しかし、今日はそうはならなかった。それどころか、全曲しっかり聴き通したのだから自分でも不思議なぐらいだ。これもゲルギエフ 、マリインスキー劇場の実力だろうか。

エフゲニー・オネーギンというタイトルをよそに、主役はタチヤーナなので、マリア・バヤンキナが良くオペラは締まる。妹オルガ役のエカテリーナ・セルゲイエワとの声の対比もいい。バヤンキナは、第1幕のオネーギンへの憧れを歌う長大なアリアから、終幕の決然と別離を宣告する歌まで、表情づけが見事だし、とても存在感がある。彼女あっての今回の舞台という印象だ。オルガ役のセルゲイエワも悪くない。歌唱ばかりか、タチヤーナと静に対して動のオルガという演技も点でも見るものがある。

女声の素晴らしさの反面、男声はそれぞれやや問題ありという感じだ。オネーギンのマルコフとレンスキーのアフメドフは対照的。剛と柔、それはそれでいいのだけど、マルコフの声はなんだか硬く、アフメドフの声はリリックすぎて弱さを感じる。強面すぎて果たしてこのノーブルとは言えないオネーギンに惹かれるのだろうか、優男然としたこのレンスキーが怒りにまかせて決闘に臨むのだろうか、ドラマにおける対比という点ではよいキャスティングだけど、オペラの人物としてはちょっと微妙なところだ。
 同じことはグレーミン侯爵のツァンガにも言える。老軍人らしいと言ってしまえばそのとおりで、役柄にはまっているのだが声楽的には全く魅力がない。それぞれの人物像という観点では視覚的には大成功なのだが、声楽的にも女声は見るべきものがあったのに比べ、男声はどうなんだろうと思うところが多い。 これもオペラの難しさだろう。

ステパニュクの演出について触れると、総じて綺麗な舞台だと思う。第1幕で舞台一杯に林檎が転がっているのは色彩的には目を引くが歌手たちには危険じゃないかな。農村の雰囲気を出そうということだろうが、オルガ役はここを走り回るのだから見ていてヒヤヒヤする。舞台のエッジには卓球台のネット状の林檎落下防止措置が講じられていて、実際にこれでピットへの爆撃が阻止されるのが可笑しい。
 舞踏会のシーンの人の動かし方や、コーラス個々の演技も良くできている。第3幕の舞踏会での賓客の入場、コーラスだけでは足りず、後のほうでは日本人のエキストラが多数登場する。彼らは舞台の奥を移動するだけなので、1階席だと識別できないだろう。カーテンコールではもちろん(?)彼らは登場しない。
 各幕が上がる前、舞台の前面を下手から上手にタチヤーナらしい黙役が移動する。たぶん、その場面での彼女の心理を表現しようとしているのだと思うが、もうひとつ意図不明だ。まあ、細かなところではツッコミどころはあるにしても、これはいい演出かな。

幕間、ホールと京都市美術館別館の間に設けられた喫煙場所に向かう。ここには全国水平社創立の地という碑が立っている。それは京都会館の前身、岡崎公会堂のことだ。「橋のない川」のクライマックスの舞台になっている。そこにいたら、東京の顔見知りの方に遭遇、私と同様に京都会館がどんなふうに変わったか見たくて、わざわざ足を伸ばされたとか。「チケットの売れ行きが悪いみたいですねえ」とか、「ドン・カルロは五幕版なので行く気になったのに、いつの間にか四幕版に変えるなんて酷い」とか、公演そのもの以外でのマリインスキー劇場の評判はあまりよろしくない。

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