金沢で「セヴィリアの理髪師」 〜 雪のち晴れ
2017/2/19

一軒宿の温泉から低い峠を越え金沢へ40分、まだ午前中、時間もあるので市内を散策する。仕事では何度も来ている金沢だが、いわゆる観光をしたことはあまりない。北陸新幹線効果で兼六園あたりはずいぶん賑わっているようだ。あまり知られていない100円のふらっとバスで向かったのは尾張町界隈、町民文化館と老舗交流館、そして金沢蓄音機館を観る。そして金沢城公園でお弁当を広げる。前夜は雪だったのに、風もなく、もう春の暖かさだ。蓄音機館には、たぶん午後の公演までの時間に訪れたとおぼしき人の姿があった。古いレコードを展示している館内のミュージアムショップではOEKのCDが並んでいる。新旧取り混ぜてというところが金沢らしい。

アルマヴィーヴァ伯爵:デヴィッド・ポーティロ 
 バルトロ:カルロ・レポーレ 
 ロジーナ:セレーナ・マルフィ 
 フィガロ:アンジェイ・フィロンチク 
 バジリオ:後藤春馬 
 ベルタ:小泉詠子 
 フィオレッロ:駒田敏章 
 アンブロージォ:山本悠尋 
 士官:濵野杜輝 
 合唱:金沢ロッシーニ特別合唱団
 コーラスマスター:辻博之 
 管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢
 指揮:マルク・ミンコフスキ 
 ステージ演出:イヴァン・アレクサンダー 
 石川県立音楽堂コンサートホール

前の冬に、ミンコフスキはシューマンの交響曲全曲を金沢で演奏した。それを聴いて以来だ。今回はロッシーニのオペラということで期待が高まる。地元ばかりか、東から西からやって来る。松本のフェスティバルのような感じかな。ただ、あちらとは微妙に客層が違う感じ。華やかさに欠けるぶん、自然体で落ち着きがある。三階には空席が目立つが、それでも1560席の8割方は埋まっていた。

それで、演奏なのだが、第2幕は文句なしに素晴らしかったのだが、第1幕はちょっと留保付きかなあ。オーケストラは終始一貫、活き活きとした音楽を奏でていたのだけど、序曲に関してはどうかな。管楽器のバランスがいまいちだし、名手が吹いているわけでもないので、こんなものかというところ。ただ推進力を感じるところが長所だ。
 オペラが始まると、どんどんオーケストラが生気を帯びてくるのが判る。ロッシーニ特有のクレッシェンドはともかく、随所に強烈なアクセントが入るのでメリハリが増す。急速なナンバーの終わりは煽ってスパッと短く終えるような感じで、このあたりになると、やり過ぎ一歩手前かも知れない。まあ、これはこれで、ライブ感があるところで盛り上がるのだけど。
 終曲のアンサンブル、3人のソリストが順繰りに歌い、合唱となって後奏が続くのに自然に拍手が重なる。これはとてもいい。東京あたりだと原理主義者(?)が目を三角にして怒り出すかも知れないが、そんな音楽もあるかも知れないけど、ロッシーニのブッファだったら絶対にこうでなくては。金沢の人たちは素直、これが普通じゃないだろうか。

歌手はよく揃っている。アルマヴィーヴァ、ロジーナ、フィガロ、この3人の主役は若い声が相応しい。フィガロなんて、この続編で結婚するのだから、ここではまだ独身だ。世知長けたバリトンの歌じゃ似つかわしくない。今回は、とてもいいキャストを組んでいる。とにかく役柄に嵌まっているし、声そのものにキャラクターが滲み出る。なかなかこういう具合にいかないことが多いのだ。ミンコフスキはそこまで考えて選んだんだろう。大きな成功要因だと思う。

さて、アルマヴィーヴァを歌ったデヴィッド・ポーティロ、開演前の解説をちらっと聞いたら、幕切れの大アリアを歌うというので期待だ。しかし第1幕を聴く限りやや線が細いし、高音の美しさはあるものの全音域でムラなくという感じでもない。どうなんだろうと思っていたら、だんだん良くなってきた。最後のアリアにピークを持っていくつもりだったんだろうか。なんだか最後の最後に聴かせどころが待ち構えているローエングリンやワルターのような感じか。
 確かに最後の「もう抵抗するな」は、音がずれた箇所も一部あったように思うが、破綻もなくしっかり歌えていたと思う。大喝采である。ただ、自分としては舞台でこれが歌われるのを聴いたのは、ファン・ディエゴ・フローレスとアントニーノ・シラグーザの二人なので、比較しちゃ気の毒なんだろう。どこが違うかというと、至難のアリアを歌って、なお余裕を感じさせるかどうかという点だと思う。その余裕というのが聴く側にも伝わり、至福感で満たされるのだから。このアリアがあると、第2幕は伯爵の独り舞台に一変する。それを支えるだけの余裕があるとないとでは大違い。もっとも、ハラハラドキドキもオペラを観る楽しみではあるのだけど。

ロジーナを歌ったセレーナ・マルフィは、ぱっと見、チェチーリア・バルトリの若い頃の姿に似ている。もちろん声域、役柄ともに共通項があるわけで、いい感じだ。この人の歌唱は、短く言葉や音を切るのではなく、長い弧を描くようなフレージングだ。キビキビと進むオーケストラと少し隙間があるような気もしなくはないが、これはこれで悪くない。微妙なズレが緊張感を高めるという効果もある。

フィガロのアンジェイ・フィロンチク、あまり声のある人ではなさそう。歌いぶりや演技はいい。バルトロ役のカルロ・レポーレ(見かけパパイヤ鈴木に似ている)の音量がやけに大きいのでバランスが崩れるところがあるが、それは仕方がないか。 

脇役には日本人の若手歌手が配されている。バジリオの後藤春馬さんはいささか重量感に欠けるので、「陰口はそよ風のように」のクレッシェンドが物足りない。この声域はなかなか人がいないから難しいところである。ベルタを歌った小泉詠子さん、このナンバーは余計なものだとずっと思っていたが、今回の演奏でミンコフスキが渾身のサポートをしていたのに驚いた。彼はこのシャーベット・アリアの重要性を強く意識しているのだろう。ドラマの進行の結節点、大団円に向かう直前の観察者としての視点での歌、続く嵐の音楽とともにインテルメッツォとして必要不可欠のものという演奏だった。目から鱗という感じ。

終演予定時刻に10分ほど早く終了したのはオペラ公演では珍しいこと。レチタティーヴォの省略をしているわけでもないので、それだけ快速の演奏だったということか。金沢名物のおでんで一杯やって、予定のサンダーバードに余裕で乗り込む。いい北陸旅行だった。

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