びわ湖ホール「ラインの黄金」 〜 なんとなく既視感
2017/3/4

春が近い。比良山系は雪をかぶっているが、いい陽気で花粉が飛んでいる。暖かくなるのは結構だけど、鼻水まみれの季節かと思うと鬱陶しい。今年から始まるびわ湖ホールの「ニーベルンクの指輪」、「ラインの黄金」は二日間とも完売とか。これまでなら神奈川県民ホールとの共同製作で首都圏での公演もあったが、今回からはびわ湖ホール単独での製作、首都圏のワグネリアンが大挙押しかけるのだろうか。びわ湖ホールの正面には、今まで見たことのないような巨大な横断幕まで掛かっている。ずいぶんと力こぶが入っているなあ。

ヴォータン:ロッド・ギルフリー
 ドンナー:ヴィタリ・ユシュマノフ 
 フロー:村上敏明
 ローゲ:西村悟 
 ファゾルト:デニス・ビシュニャ
 ファフナー:斉木健詞 
 アルベリヒ:カルステン・メーヴェス 
 ミーメ:与儀巧 
 フリッカ:小山由美 
 フライア:砂川涼子 
 エルダ:竹本節子 
 ヴォークリンデ:小川里美 
 ヴェルグンデ:小野和歌子 
 フロスヒルデ:梅津貴子
 管弦楽:京都市交響楽団
 指揮:沼尻竜典
 演出:ミヒャエル・ハンペ
 装置・衣裳:ヘニング・フォン・ギールケ

ミヒャエル・ハンペの「オペラの学校」という本をしばらく前に読んだ。この人はもともとの音楽とドラマを尊重し、突飛な読み替え演出は論外というスタンスだから、意表を突いた舞台になる可能性は低いが、今回の演出を見ると、どこかで観たような舞台だという気がしてならない。それは何かと言うと、この作品を初めて観たときの演出、あれと瓜二つ、メトロポリタンオペラでのオットー・シェンクのプロダクションに思い至った(1987/10/9記事参照)。ワーグナーのト書きを忠実に再現し、余計なものを付け加えず、ひたすら美しい舞台を創出することに専念するという姿勢だ。

それは、いいことだろう。丁寧に作った舞台は決して音楽の邪魔をしないし、いったい何を言わんとするのかと、客席にいてイライラすることもない。でもね、あまりにも刺激がなさ過ぎる。作品に忠実にやると、結局は誰がやっても同じという、演出家にとっての自己撞着に陥るのではないだろうか。もちろん、シェンク演出のときには今どきのプロジェクション・マッピングは使われておらず、大規模な舞台装置で対応していた。技術が進んで、たぶん膨大な経費をかけずとも同等の効果が得られるようになっている。それがハンペ演出にも取り入れられているのだが、見かけは大同小異になってしまっている。目を奪うようなスペクタクルもないし、舞台は退屈だ。新国立劇場でのキース・ウォーナー演出のような、次に何が出でくるかワクワクするような興奮も希薄だ。まあ、ヘンなことをやると糞味噌に言われるし、原作に忠実にやると退屈だと言われては、演出家も因果な稼業と同情してしまう。

さて、2時間半の長丁場、お約束の5分遅れでなく10分遅れの開始かと思ったら、そうでもなくて6〜7分後にはピットからライン川が流れ出す。会場の照明が落ちるとともに指揮者が忍び込んでいたのだろう。なので、拍手はない。魚のように見えるラインの乙女が遊泳する姿が映し出される。歌い演技する場面だけ紗幕の向こうに歌い手の姿が現れるのだが、違和感もなく自然だ。個々の歌い手はしっかり歌っているのだが、3人のアンサンブルというか、連続性があまり感じられない。ピットの京都市交響楽団も最近の好調ぶりとは距離のあるように感じる。まあ、先は長い。

アルベリヒによるラインの黄金の強奪のあと、METなら迫りが下がり天上のシーンとなるところを、投影で上手く対処する。奥の舞台装置の背景は替わっても基本構造は同じだ。この第2場ではフリッカの小山由美さんの声がピンと飛んでくる。ヴォータンを歌うロッド・ギルフリー以上の存在感だ。続編での恐妻ぶりがそれだけで伝わる。フライアを歌う砂川涼子さんとともに、この二人の女声の出来は出色だ。ヴォータンばかりか、ドンナーのヴィタリ・ユシュマノフ、フローの村上敏明さん、どうも男声陣の旗色が悪いなあ。

地底のニーベルハイムに舞台は替わる。これも同じく投影で下方向への移動だ。ここの場面では、アルベリヒの変身に注目、巨大な龍はプロジェクション・マッピングならではの3D効果だ。そのあとの蛙への変身との落差が面白く、客席から笑い声も湧く。よくできている。最近の映像技術をもってすれば、この程度は造作のないことかも。150年前に実用化されていたなら、きっとワーグナーは飛びついただろう。アルベリヒのカルステン・メーヴェスとミーメの与儀巧さん、ラインの娘たちと違って、なかなかこの兄弟の声と歌の対照はいい。アリベリヒにはもともと桝貴志さんが予定されていて体調不良により交代となったが、この人のキャンセルに遭遇するのは2回目だ。いいバリトンなのに、体が弱いのだろうか。

最終場面は、巨人兄弟との取引、指輪の呪いの預言、仲間割れによる殺人、ワルハラへの入場のクライマックスと続く。普通の身長の2倍はありそうな巨人はどういう造りになっているのだろうか。ともあれ、愚直にト書きに沿って、舞台化、映像化がなされている。とっても判りやすい。ここはローゲの見せ場で、西村悟さんの力演が光る。だけど、この人の歌はリリックに過ぎる。この物語の最大のヒールに間違いないローゲは、もっと悪魔的なキャラクターではないかな。私はローゲこそ「ラインの黄金」の主役だと考えるのだが、どうなんだろう。幕切れはピットの京都市交響楽団は最高潮に達する。しかし、この最後の場面になって沼尻さんは指揮棒なしで振る。なんか、逆じゃないのかなあ。

幕切れ、場内は異様な盛り上がりかただ。確かに、とてもいい上演だったけど、諸手を挙げてというにはどうかな。どうも、舞台を観ていて、なんだ、あれと同じじゃないかと思ってしまったのが、私が留保をつけてしまう理由かも知れない。さて、二日目は国内キャストの日、どんなふうに変わるだろうか。さあ、湖畔を歩いて20分、久しぶりのヴュルツブルクでドイツビールだ。

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