三河市民オペラ「イル・トロヴァトーレ」 〜 ちくわだけじゃなかった
2017/5/6

今年のGWはお天気に恵まれた。前半は近場のウォーキングで過ごし、終盤に遠出となる。近鉄、名鉄と乗り継いで向かったのは豊橋、アイプラザ豊橋での三河市民オペラに出かける。その存在は知っていたものの、聴きに来るのは初めてだ。

ルーナ伯爵:桝貴志
 レオノーラ:並河寿美
 アズチェーナ:谷口睦美
 マンリーコ:笛田博昭
 フェッランド:伊藤貴之
 イネス:宮川むつみ
 ルイス:前川健生
 老ジプシー:森拓斗
 使者:村上裕二
 管弦楽:セントラル愛知交響楽団
 合唱:三河市民オペラ合唱団
 指揮:園田隆一郎
 演出:髙岸未朝
 美術・衣裳:二村周作
 照明:喜多村貴
 映像デザイン:栗山聡之
 合唱指揮:近藤惠子

なかなかのキャスティングだ。東京では難しい二期会と藤原歌劇団のトップシンガーの組合せ、レオノーラを並河さんが歌い、マンリーコを笛田さんが歌う。これは絶対に聴き逃せない。何度も観ている「イル・トロヴァトーレ」、今までのどの上演でも、どこかが凹む舞台だったのに、これは奇跡的。三河の地で、まさかベスト・パフォーマンスに遭遇できるとは。

何と言っても題名役の笛田さんだろう。幕開きの舞台裏からの歌で「これは、いいぞ」と感じたが、舞台に登場してからさらにヒートアップする。例の問題のアリア"Di quella pira…"は圧巻。見事にハイCを決めて、やんややんやの最高潮だ。ひょっとして、繰り返しまでやるんじゃないかと思ったほどだ。私にとってのマンリーコ役の理想はフランコ・コレッリ、あの強靭な声と両立する運動性、ロブストがこの役を歌いきったときの魅力は抗しがたいものがある。1987年にMETでパヴァロッティを聴いているが、高音が出るだけではこの悲劇の吟遊詩人にはどこか物足りなさが残るのだ。笛田さんの歌はコレッリを彷彿とさせるものがある。国内見渡しても理想のマンリーコと言って過言じゃない。この爽快感。

レオノーラの並河さんの素晴らしさは想定内のもの。まさに適役だ。最初のアリア"Tacea la notte placida…"のカバレッタが重くなってしまうという危惧はそのとおりになってしまったが、それを除けばケチのつけようがない。二つ目のアリア"D'amor sull'ali rosee…"の後半ではそんな問題を感じさせなかったのは、どんどん暖まる舞台の温度のなせる業かも知れない。

出演する舞台で二度のキャンセルに当たったことがある桝さん、他の主役級の声が前に出るのと違って、やや引っ込み気味の響きになるのが残念なところだが、この人の歌声にはそれを補って余りある美しさがある。そのあたり。ダブルキャストが組まれている上江隼人さんも似たところがある。ルーナ伯爵の強面のところよりも、恋する男性としてのノーブルな面が出ている歌唱と言える。これはこれで、素敵だ。

以上の3人は想像したとおり、どころか、期待を裏切らないパフォーマンスを見せてくれたのだが、私がことのほか感心したのはアズチェーナ役の谷口さんだ。そんなに聴いている人ではないが、こんなに良かったのかしらと嬉しい驚きだった。この役にして歌が崩れない。端正だ。目立つアリアがあり、恋敵の男声二人とアンサンブルで絡む。おどろおどろしさを強調したような歌はありがちだが、谷口さんのいいところは決してヴェルディの旋律線を逸脱しない。かといってロマの老女としての強烈な個性が埋没するわけでもない。これは、なかなかありそうでない歌唱なのだ。

谷口さんと同様、他の3人の主役たちの歌も外連を排した節度を保っている。勢いに任せて歌い飛ばすようなところは微塵もない。首都圏や京阪神のようにコアなオペラファンが押し寄せる訳でもない地方公演だから、大向こう受けのする下品な歌に流れても不思議じゃないところを、立派だ。それだけのレベルの人たちだし、まさに、ヴェルディを聴いているのを実感する。この人たちがほんとに真摯に取り組んでいること、そして舞台裏や客席へのリスペクトまでも感じさせる。

陰惨なドラマとは水と油のような華やかなアリアやアンサンブルの連続、壮年のヴェルディが紡ぎ出したメロディの奔流である「イル・トロヴァトーレ」、その音楽を傷つけることを慎重に避けてドラマを進行させることで、作品の力が顕在化しほんとうの感興が生まれる。そのことを証明するような演奏だった。園田隆一郎さんの指揮の力もあるだろう。セントラル愛知交響楽団もよくやった。

市民オペラならでは、コーラスの人数が半端じゃない。ロマの男女、修道女、ルーナ方とマンリーコ方の軍勢、掛け持ちするのではなくそれぞれにメンバーがあてがわれている。世界最高水準の新国立劇場合唱団を普段聴いているから、アマチュアの粗を探すことは簡単だが、ここに息づいているのはこのオペラに不可欠の熱気だ。コーラスのナンバーも多く、彼らのベストエフォートであることが伝わってくるし、オペラを盛り上げる。これは盤石のソリスト陣との幸せな融合と言っていい。

舞台機構が充実しているわけでもない市民会館だから、演出の苦労もあったと思う。場面転換では暗転したうえで大きな衝立を動かして切り替えていて、随所にプロジェクションマッピングを使って効果を挙げていた。衣装も綺麗だ。4年ぶりの市民オペラということで、相当な準備がなされたことが推測できる。それぞれの役回りでベストを尽くして市民オペラを成功に導いたことがひしひしと感じられる。

週刊誌ほどの分厚いブログラムをもらった。出演するキャストのそれぞれのコメントが入ったプログラムというのも珍しい。定番の作品解説だけでなく、地元新聞の関連記事の切り抜きまで掲載されている。冊子の後ろ半分は協賛企業のパブリシティだ。まるで高校の文化祭のような感じ。三河地区の企業が総動員という趣きがある。会場に向かう前、お昼に食べた豊橋名物カレーうどんの店もお金を出している。もちろん、豊橋と言えばヤマサのちくわ、その会社も出している。それに豊橋のメジャーブランド、宿で試供品をもらったあのブラックサンダーは多額拠出なのか、1ページまるまるの広告だ。あれっ、でもご当地の超大企業の名前がない。そりゃ世界戦略から言えばウィーン国立歌劇場のスポンサーになればブランドイメージに貢献するにしても、アイプラザ豊橋からほど近いところに工場も輸出基地もあるのに、どういうことなんだろう。格が違いすぎるので遠慮したのか、それとも陰徳のメセナに徹しているのだろうか。後者であってほしいものだ。

妹が旦那の仕事の関係で長らく豊橋に住んでいたので、何度も訪れたことのある街だが、カレーうどんが名物だなんて聞いたことがなかった。鉢の底から、御飯、とろろ、カレーうどんの三層構造で、トッピングにうずら卵を半分にしたものが乗る。混ぜずに上から食べて行くのが基本らしい。一つのメニューで色々な味を楽しむというのはひつまぶしと同じ発想か。さすが、意表を突くコンビネーションの名古屋メシ。おっと三河は尾張とは違うと言われそうだ。これを出すめん処玉川本店で店の人に聞いたところ、8年前から始めたもののようだ。新名物ということか、妹が知らなかったことが腑に落ちた。

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