テアトロマッシモ来日公演「トスカ」 〜 こちらは25年ぶり
2017/6/25

昨日はびわ湖ホール、そして今日はフェスティバルホール、連日のテアトロマッシモとなる。もともとチケットも買っておらず、直前入手の最安席。大津では4階サイドバルコニーの舞台寄りで、乗り出さないと全体が見えなかったが、こちらは3階最後列でも馬蹄形客席ではないので見渡せる。建替前のフェスティバルホールのPP列相当、実は音響のいい天井桟敷だ。

トスカ:アンジェラ・ゲオルギュー
 カヴァラドッシ:マルチェッロ・ジョルダーニ
 スカルピア:セバスティアン・カターナ
 マッシモ劇場合唱団
 マッシモ劇場管弦楽団
 指揮:ジャンルカ・マルティネンギ
 演出:マリオ・ポンティッジャ

アンジェラ・ゲオルギューの舞台を観たのはもう25年も前のこと、1992年、ロンドンのコヴェントガーデンへのデビューの年、ちょうど欧州通貨統合が行われようとしている時期だった。その英国がEU離脱を決めているのだから四半世紀は短いようで長い。あのときの「ボエーム」に登場した若い恋人役は、ロベルト・アラーニャとアンジェラ・ゲオルギュー、まだ彼らが結婚する前だ。

女性の歳のことを言うのは御法度だが、それだけの年月が過ぎたということになる。著名オペラハウスへのデビューを飾り、世間の注目を集める美男美女カップルが誕生し、世界中の主要劇場の舞台に立ち、メジャーレーベルから次々と録音をリリース、そこまでは順風満帆。しかし、ギャラの高騰につれて我が儘なところも顔を出して、トラブルのニュースも聞こえてきた。まあ、それもプリマドンナらしいと言えるわけだ。そんな25年間に、私はただの一度もナマでは聴いていない。

肉付きはよくなったが容色は衰えていないし、演技も上手になっている。トスカの役を演ずるのに何の問題もないし、今でもどこでも引っ張りだこだろう。だけど、どうなんだろう。デビューの頃の瑞々しさを知っている者にとっては、声の艶が心なしか失われているように聞こえる。こういう激しい役の演技への傾斜がそうさせるのか、それは何とも言えないところだけど、彼女のキャリアは往年の大歌手のようにじっくり熟成させるという状態ではなかったのかも知れない。この先、どれだけ歌い続けるのか判らないが、さらに先にも聴きたい歌手ではない。そういう点では、アンナ・ネトレプコのような感じか。性急なコマーシャリズムは歌手を消費する。

カヴァラドッシのマルチェッロ・ジョルダーニは、いかにもMETホームグラウンドのテノールという感じだ。ちょうど私が座った場所はMETで言えばファミリーサークル、最上階の天井桟敷、そこまでガンガン声が届くマッチョ的な歌い手だ。私が彼の地で聴いていた頃のエルマンノ・マウーロと印象がダブる。とにかく声、思いきり声を張って泣き節も混じる。ある意味、一昔前のプリモ・ウオーモだ。でも否定的じゃない。これもアリだろう。イタリアオペラの一つの典型でもあるし、METではこれがウケる。イタリアだってそうかも知れない。そして、大阪だって。

スカルピアのセバスティアン・カターナは聴いたことがない人、なかなか強面の警視総監である。悪役の存在感がなければオペラは面白くない。いやあ、この人はいいスカルピアだ。トスカの一刺しで倒れるようじゃダメ、この演出では三度もナイフを突き立てていたのだから、それぐらいの存在感。そりゃそうだろう、食卓のナイフ程度では簡単に殺人などできないと思う。その点、とてもリアリスティックだし、スカルピアが絶命したあと、舞台上でトスカがぜいぜいと息を切らせる音が続くというのも非常に生々しい。それだけの長さを持った第2幕幕切れの音楽なのだから、こういう演出をこれまで観たことがなかったのも不思議。シチリアの劇場だから表現が濃くなるのか。何しろ「ゴッドファーザーPartⅢ」のエンディングに使われたオペラハウスだもの。

前日の「椿姫」と同じ演出家、余計なことは何もしない演出で、ここまでそのとおりだと、爽快感すらある。まさに、オペラは歌ですよ、と言いたげ。これは演出の時代に入る前の舞台だ。しかし、ただ突っ立ってアリアを歌うだけではないから、過去の遺物という言い方は不適当だろう。よきイタリアオペラかな。

オーケストラの演奏にしてもそれが言える。バランスや個々の奏者の技倆ではスカラ座とかに及びもしないが、ヴェルディにしてもプッチーニにしても歌心があるので、多少の粗は許してしまう。聴かせどころはテンポにしてもフェルマータにしても存分に歌手に任せるというところも、佳き時代の劇場という感じだ。この歌劇場は10年ぶりの来日ということ。前回もシチリアご当地もののプログラム2演目を観たが、そのときそうだったし、結構私はこれはこれで気に入っている。

余談だが、会場で配られたキャスト表にはパレルモ・マッシモ劇場合唱団との記載はあるが、第1幕で登場する児童合唱については一切表記がない。あと何人かの黙役についても然り。これは、おかしい。現地調達は何も悪いことじゃないし、せめて一生懸命歌い演じている子供たちのためにも、団体名ぐらい書くべきだろう。日本人が出ていることが判ると困るようなオペラ後進国でもないと思うのだが。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system