びわ湖ホール「ノルマ」 〜 こちらも最後の舞台
2017/10/28

マリエッラ・デヴィーアを初めて聴いたのはもう四半世紀も前のことだ。そして、これが日本での最後の舞台ということになるらしい。引退ということでもないようで、リサイタルやマスタークラスなどの指導は続けるのだろう。ここびわ湖ホールでは翌日にエディタ・グルベローヴァのリサイタルが続く。コロラトゥーラの歌手寿命は短いのに、そんなレパートリーを持つ両人とも息の長い歌手である。

ノルマ:マリエッラ・デヴィーア
 アダルジーザ:ラウラ・ポルヴェレッリ
 ポッリオーネ:ステファン・ポップ
 オロヴェーゾ:伊藤貴之
 クロティルデ:松浦麗
 フラーヴィオ:二塚直紀
 合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル/藤原歌劇団合唱部
 管弦楽:トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア
 指揮:沼尻竜典
 演出:粟國 淳

開演前、喫煙所になっているホール東側のベランダにいると、盛大なテノールの声が階下から昇ってくる。ポリオーネ役のステファン・ポップなんだろうか。この下が楽屋になっているんだろう。出演前の喉慣らしにしてはフルヴォイスの威勢良さだ。ふと、ずいぶん昔のガラコンサートで他の歌手の出演中に客席まで漏れ聞こえて来たフィオレンツァ・コッソットの声のことを思い出す。まだ幕は開いていないから、ご存分に。

マリエッラ・デヴィーアの最後の舞台というのは何となく判る。永年培ってきた技倆と表現力は衰えない。ただ、ノルマという至難な役柄を演じ歌いきる力を保持している一方で、声楽的な破綻を露呈させないようテクニックを駆使していることも聞き取れる。彼女のソロの場面では沼尻さんのテンポも極端に遅くなる。名歌手故にそんなことに自覚的なんだろう。これ以上舞台に立ち続けると具合の悪いところが目立ってきてしまうから潮時という判断は潔いと思う。声域による音色の違い、語るところと歌うところの落差、気にならない程度に処理するのは流石だが、その限界も知っているのだろう。声のパワーを持続させるのも昔のようにはいかない。生身の人間、それは仕方の無いことだろう。それよりも、名歌手の最後の舞台に立ち会えたことを幸せと感じるべきだろう。サクラ的なブラーヴァの頻発は鼻白むところもあるが、そういう意味と解するのがいいのかも知れない。

幕開きから登場するポリオーネのステファン・ポップ、やはり楽屋からガンガン漏れ聞こえてきた声だ。パワーは充分、声も悪くない。今どきは珍しくなったテノールなんとかの系譜に連なる歌だ。それはそれで爽快、この役はこれでもいい。直情径行、もともとポリオーネはキャラクターとしていかがなものかという人物だし。範疇としては「ノルマ」はベルカントオペラなのだが、彼氏の歌い方はあくまでヴェリズモ風、よくあることで気になる向きもあるに違いないが、私はまあいいかというところ。

アダルジーザのラウラ・ポルヴェレッリはデヴィーアと声質が似かよっていて、デュエットでは区別がつかないほど。ノルマをメゾソプラノが歌い、アダルジーザをソプラノが歌った録音もあるようで、キャラクターの年格好を考えるとそれもありなんだろう。ともかく、今回の舞台ではコントラストに乏しいのが残念なところではある。

ベッリーニの最後のオペラ「ノルマ」、傑作なのかどうか私にはよく判らない。タイトルロールの圧倒的歌唱があってはじめて感銘をもたらすという作品かなと思う。ドラマの進行に無理があるし、美しいナンバーがあっても第1幕のほとんどはお話が進行しない。かと思えば、三角関係の修羅場に楽しげな三拍子のリズムなど、流麗なメロディと台本が水と油のようなところもあるのだ。そんなことに気が行くのは、このオペラの完璧な上演がいかに難しいかという証左でもあるのだろう。

沼尻さんは今回初めてびわ湖ホールに手兵のトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアを連れてきた。日本センチュリー交響楽団や京都市交響楽団のときと比べると、音楽のノリが断然違う。かといって、この人にベルカントオペラの適性があるかというと微妙なところだ。ベッリーニはほんとうに難しい。

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