カレッジオペラハウス「偽の女庭師」 〜 生気溢れる若書き
2017/11/5

名前だけは知っているが聴いたことも観たこともないモーツァルトのオペラ「偽の女庭師」、「恋の花つくり」というふうに訳されていたこともあったと思うが、作品はK196 "La finta giardiniera" のこと。まんまの直訳「偽の女庭師」よりも「恋の花つくり」のほうがいい感じだが、今回のカレッジオペラハウスの公演では前者になっている。そう言えば、ヴェルディの初期作品で "Un giorno di regno" (「王国の一日」)というオペラがあり、これには「偽のスタニスラオ」”Il finto Stanislao"という副題が付いている。「偽」と名の付くタイトルのオペラのどちらにもベルフィオーレ伯爵が登場するのは可笑しい。

ドン・アキーゼ:清原邦仁
 ヴィオランテ(サンドリーナ):尾崎比佐子
 ベルフィオーレ伯爵:中川正崇
 アルミンダ:南さゆり
 騎士ラミーロ:橘知加子
 セルペッタ:石橋栄実
 ロベルト(ナルド):迎肇聡
 管弦楽:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
 指揮:牧村邦彦
 演出:井原広樹

ザ・カレッジ・オペラハウスでの公演に出かけるのは久しぶりだ。聴きたいものはあっても、一般販売のチケット価格が高くなってからは足が遠のいていた。大阪音楽大学関係者を優遇するのは仕方ないにしても、身内ばかりが客席を埋めるようになるのはよろしくないだろう。その点でも今回の価格引き下げは歓迎だ。

三幕、三時間のモーツァルトということで、この作曲家を好きでもない私は退屈するのは間違いないと思って出かけたが、案に相違してこれがとてもよかったのだ。 大阪音大のOB・OGで固めたキャストは、それがいいほうに作用していたと思う。レチタティーヴォが誰もが見事で、すこぶる動きの多い演出なのに、稽古充分ということがすぐに判った。当然、アンサンブルも息が合っていたし、レア演目を舞台にかけたというレベルではなかった。こういうことは稀だ。アルミンダ役を予定されていた並河寿美さんはキャンセルになったが、歌い手のバランスも声質の対比もうまくいっていたし、指揮は牧村邦彦さんなので声との呼吸も全く心配ない。ご無沙汰していたカレッジオペラハウス、これはアタリ公演だった。

 直前にチケットを手配したので、前から二列目の右サイドの席だった。舞台は近くて歌手の肉声がダイレクトに届く位置ではあるものの、最上のバランスとは言えない。何よりも今回の公演ではピットは上げられて小振りのオーケストラが舞台に乗っている。これじゃホールオペラと変わらないのではと思ったが、奥に一段高く普通に舞台が設えられている。そこだけでなく、オーケストラの左右の階段、舞台前面をフル活用してオペラが進む。目まぐるしい人物の入れ替わりも自然に進む。この時代のオペラだと書割で転換するところを、プロジェクションマッピングで上手く処理していたし、演出としては成功していたと思う。ディレクターズ・チョイスと銘打って始まったシリーズ、井原広樹さんの気合いも入っていたと窺える。

その演出の井原広樹さんか、それとも指揮の牧村邦彦さんか、どちらのアイディアか判然としないが、細かいところで随所に遊びが入っているのも面白かった。この作品のときには影も形もない「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」の引用が入ったりする。ベルフィオーレ伯爵が喜々として退場するところではチェンバロがフィガロのアリアを弾くし、ドン・アキーゼがベルフィオーレ伯爵を驚かせる場面では石の客人が登場する不気味な和音に乗って「ベル・フィオーーーレ」なんてやったりする。セルペッタ役の石橋栄実さんに至っては、幕切れ直前にツェルリーナのアリアの替え歌もオマケで披露、オペラグラスで覗き込んだパート譜には「No.27のあと石橋」といった紙が挿入されていた。

どこまで台本どおりの台詞なのか判然としないが、恋人たちの大騒ぎに辟易としたドン・アキーゼ市長が歌う横ではカップルが地の台詞(もちろんイタリア語)で罵り合っている。ナルドがセルペッタに求愛するシーンでは、イタリア風に、ブランス風に、イギリス風にと手を替え品を替えだが、ブランス風に変わるところではコーラスの一人が"Ecco il pane"と叫んで巨大なバゲットを放り投げる。ナルドはそれを抱きながら歌うという寸法だ。ヘンに大阪弁の台詞を入れたり、吉本風ドタバタに流れるような下策とは一線を画するものだ。プロジェクションもよく見ると背景におかしなものをこっそり入れている。ベルフィオーレが家柄を自慢する場面ではナポレオンはじめ西洋画に描かれた著名人物に並んで西郷隆盛がいたりする。

 ヘンデルのオペラのように登場人物が一曲歌って退場の繰り返しかと思っていたら、そうじゃなかった。7人の登場人物のうち5人がいきなり登場して賑やかだ。それぞれのキャラクターと歌に個性があって飽きない。もちろん、キャストのそれぞれが活き活きとした歌と演技であったことが大きい。

私が一番感心したのは迎肇聡さんだ。この人、実はこれまで私はあまり評価していなかった。はじめて聴いたときに強靭な声を持っているのに驚いたのだが、力づくの歌唱のようなところが耳につきだして常に違和感がつきまとう歌い手だった。もっと力を抜いて歌うことを身につければいいのにと残念な思いを抱いていたものだった。ところが、このナルドはとてもいい。別人かと思ったぐらいだ。硬軟緩急の呼吸が判ったのだろうか。何か一皮むけたような感じ。今ならフィガロを歌ったらいいなあと思う。反体制の旗手としてボーマルシェが描いたような、毒を含んだフィガロをこの人の声なら表現できそうだ。

狂言回しのような役柄、清原邦仁さんの市長はレチタティーヴォが見事だ。アリアそのものよりも、レチタティーヴォの出来が素晴らしい。きっちりと台本を発音して丁寧に抑揚を付ける。これは皮肉ではなく褒め言葉、モーツァルトに限らずレチタティーヴォはとても大事だ。これだけ言葉の多い台本でそれが表現できるのはほんとに珍しいことだ。

セルペッタの石橋栄実さんは、水を得た魚のような感じで演技も達者、活き活きと舞台を駆け回る。花のある人だ。ヴィオランテ(サンドリーナ)の尾崎比佐子も流石の貫禄、好調だった。ベルフィオーレ伯爵の中川正崇さんは熱演、並河さんがキャンセルしたアルミンダという役はちょっと意地悪キャラだが、代わった南さゆりさんは悪くない。騎士ラミーロの橘知加子さんは、後になるほど乗ってきた感じ。

まあ、荒唐無稽、無茶苦茶な展開と言ってもいいオペラだけど、キャストがここまで熱演だとそんなことは忘れる。タイトルロールのサンドリーナとベルフィオーレ伯爵の和解のところなど、後年のモーツァルトならオーケストラでそれを先行させるぐらいの芸当を苦もなくやってしまうところだが、18歳の若書き、そんなことはありえない。しかし、それに替わるエネルギーがあるオペラだ。それを感じさせたのも、今回の演奏者の功績と評価したい。

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