メトロポリタンオペラ「オテロ」 〜 ようやくドミンゴのオテロ
New York 1988/2/18・27

METの1987-1988シーズンのオープニング演目だった「オテロ」、そのときは当日チケットオフィスに並べば何とかなるだろうぐらいの気持ちで出かけたのだが、甘かった。当日売りは全くなく、リターンチケット狙いで相当人数が列を作っていおり、入場できた人はほとんどいなかったはず。ニューヨークでのパヴァロッティの人気は大変なものと聞いていたが、いやいや、ドミンゴだって負けていない。続く公演も結局チケットが手に入らず、新聞に出る公演評を指をくわえて眺めたものだった。

METのシーズンでは、前半と後半に同じ演目をキャストを替えて取り上げることがある。今回観たのは後半のシリーズということになる。タイトルロールは看板のドミンゴで変わらない。デズデモナにキリ・テ・カナワ、イャーゴにフスティーノ・ディアスという顔ぶれ、いずれもネームバリューは抜群で舞台映えのする人たちだ。指揮者もジェームズ・レヴァインなので同じだ。演出は豪華絢爛路線のフランコ・ゼッフィレッリ、この人のプロダクションはMETにいくつかあって、何年ものあいだロングランを続けている。そりゃ、あれだけお金をかけているのだから、元を取らなきゃということだろう。もちろん、人気もある。この「オテロ」には、一週間あまり後にも足を運んだ。シーズンはじめに見遁した埋め合わせという感じかな。

ドミンゴは当代随一のオテロであることに間違いない。誰もが言うように、演技、歌唱いずれをとっても、悲劇の主人公の人間性を遺憾なく表現する。嫉妬から生じる苦悩を余すところなく示す様は息苦しいほど、名歌手の歌を聴く喜びを求めるオペラ公演のずっと先に進んでいる。

彼と並んでしまうと、デズデモナはやりにくいだろう。見栄えはいいもののキリ・テ・カナワの表現力や演技力は見劣りするのは否めない。無い物ねだりをしても仕方ないし、考えようによっては、単純で賢くもない木偶の坊ようなところのある役柄だから、それでもいいのかも知れない。それを如何に生身の人間として、悲劇のヒロインとして訴求するかは意外に難しいものだろう。

ゼッフィレッリの演出はいつものことながらスペクタクル満載だ。冒頭の嵐のシーンもそうだし、第3幕のヴェネツィアからの使者ロドヴィーコを迎える場面への暗転では、暗転から煌びやかな情景へと一変させる技の冴えを見せる。まさに大向こう受けすること請け合いのところだ。シーズンにいくつも贅沢な舞台を目にすることが出来るのもMETならではというところ。

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